中古マンションを購入し、楽しくリノベ暮らしをしているお宅へ訪問インタビューさせていただく「リノベ暮らしの先輩に聞く!」。

今回訪れたのは、膨大に所蔵する「本」をキーアイテムにフルリノベーションを行った W さん夫妻のご自宅。読書によって生まれる思考の広がりを体現したこの住まいを、手掛けた建築家は「漂いの家」と名付けた。


新しい可能性を求めて

朝早くに目覚めたら、まずは窓際のソファで木漏れ陽の日光浴。Wさんご夫妻の住まいは、とにかく明るく暖かい、心落ち着く空間だ

神楽坂エリアの閑静な住宅街に建つ、築17年(取材時)になるマンション。こちらの住戸は、T.Wさん(ご主人)の両親が長年住まわれていた思い入れ深い住まいだ。窓の外には、日中は近隣の樹々のおおらかな緑が映え、夜は新宿エリアの夜景が遠くに輝く。

間取りはワンルームで、空間を仕切る本棚にはご夫婦それぞれの蔵書が並ぶ。棚ごとに並べる本のジャンルをカテゴライズしているそう

Wさんご夫妻の住まいづくりは、実はこれが3軒目。1軒目は板橋に建つ戸建て住宅のリフォーム、2軒目は八ヶ岳の別荘で、それぞれハウスメーカーや地元の工務店に設計を依頼したという。今回の住まいは”終の住処” として、『精神的に自由に、遊びたい』という想いで、建築家をその作り手に選んだのだそう。

F.Wさん(奥さま)これまでの2軒は、自分たちのセンスで設計をお願いしていました。でも今回は、自分たちの枠を超えた、新しい可能性を求めたかったんです。

プロジェクト開始にあたって、アートディレクターの知人から紹介されたのが、建築家・松本光索/KOSAKUさんだ。

松本光索/KOSAKUさん。F.Wさんと同じく関西出身でノリも合い、打ち合わせもスピード感を持って表裏なく話し合えたという

■築かれた信頼関係

松本さんによるデザインワークは、まずこの住まいに滞在することから始まった。今どんな暮らしをしているのか、その街にはどんなライフスタイルがあり得るのかを感じとり、住み手とコミュニケーションを重ねて最適解を考えるのだという。

Wさんご夫婦の職業は大学教授。その職業柄、所蔵する研究図書の数は計り知れない。おふたりのライフスタイルを考える上で、「本」は外すことのできない要素となった。

松本さん:ご夫妻がどんな方なのかを知るために八ヶ岳の別荘にも伺いました。

F.Wさん:松本さんのこうした仕事のスタイルには、とても共感しました。建築家のアルヴァ・アアルトの展覧会に誘われて一緒に足を運んだ際、いいと思う作品が共通していたことも信頼につながりましたね。『この方なら、自分の想像を超えるものを造ってくれる』そう思えたんです。

人柄と感性、そのふたつがシンクロすると確信した後は、あえて細かな確認は行われなかった。細部は後からでも調整できる、むしろ最初は斬新な感性をそのまま発揮して欲しかったと、F.Wさんは振り返る。

『本と一緒に暮らす』というご夫婦のライフスタイルから松本さんが導き出したものが、冒頭でご紹介した「漂いの家」というコンセプトだ。

ご夫婦の期待通り、このコンセプトとともに打ち出された最初の設計案が、ほぼそのまま現在の住まいに採用されたという。

読書体験が広がっていく、思考の漂う住まい

住まいの中で象徴的なのが、まるで浮かんでいるように見える本棚。これは、単にワンルームの空間を緩やかに仕切る役割だけでなく、『本を読むことは精神を自由にさせてくれる』というご主人の言葉を体現した設計だという。

浮かんでいるかのような左側の本棚は、天井からボルトで吊っている。対して右側の本棚は、下部に鏡を用いて浮遊感を演出

松本さん:おふたりの大切にされている「本」を、“重たさ” ではなく、読書体験によって広がる思考のように、“どこへでもいける、ふわふわと漂うような存在 ” として表現したいと思いました。

左上・右上・本棚の下部や脚のアップ。全面を鏡にすることで、本棚が空中に漂うさまを表現。/左下・こちらは、廊下に面する棚の上部。端部を斜めに切り落とすことで、視覚的な重さや圧迫感を抑えた。これが意外にも、掃除のしやすさにもつながっているのだそう。/右下・引き戸付きの本棚は、下部に透明のパネルを用いて、本棚の浮遊感を損なわないようにした

F.Wさん:寝室を境界線に、ふたりの日中の生活空間が分かれています。それぞれの書斎にいても、本棚越しにお互いの存在はなんとなく感じるのですが、視界は遮られているため集中して仕事に取り組めます。熟年夫婦にとっては、これが丁度いい距離感かもしれませんね(笑)

寝室は、本棚やクローゼットで囲うように配置。来客時に扉を閉めれば、プライバシー性も保たれる

リビングからご主人の書斎側を見る。背板のない本棚なので、向こう側の人の気配が感じられる

こちらがT.Wさんの書斎

T.Wさん(ご主人)偶然にもコロナ禍の直前に住まいが完成したこともあり、大学のオンライン授業にも完璧な環境で臨むことが出来ました。この空間で授業をすると、背景がちょうど本に囲まれた映像になるので、学生にもよく研究室と間違えられます。本が好きな私にとって、愛着の湧く書斎になりました。

この住まいの中心に並べられているのは、これまでの人生でも特に思い入れの深い書籍たち。神棚の組み込まれたこの本棚は、いわば本の “貴賓席” なのだとか

リビングの壁沿いに備え付けられたシェルフには、リラックスしたい時にすぐ手に取れる文庫本や、音楽CDを並べているそう

奥はクローゼット。本棚同様、足下に抜けをつくり、浮遊感を演出している

T.Wさん:本棚は思考を体現したものだからこそ、マネジメントが重要です。大切な本は動かさず、詰め切ることなく循環させながら余白を残すようにしています。

■「自由な空間」が心を変え、動きも変える

こちらはF.Wさんの書斎

施主と建築家が互いの感覚を信頼しつつ、意見を包み隠さずぶつけ、磨かれて誕生したこの住まいからは、ある哲学が見えてくる。それは、住まいは完成して終わりなのではなく、暮らしの中で住まい手の自律性が求められるということ。

松本さん:ここは、住まい方を自分たちで考えられない人にとっては住みにくい家だと思います。Wさんご夫妻のように『ここにはこういう本を入れて』と自分たちのルールを決められる人じゃないと。

僕は『こう住んでほしい』と押し付けるような設計はしないように心がけています。はじめにハードとしてデザインの強いものを提示しているから、あとはどんな家具を置いてもらってもいいし、自由に使って欲しいと思っています。

リビングには、F.Wさんのご趣味のピアノが。

松本さんの想いに呼応するように、ご夫妻はこの住まいから「自由」を感じ取り、心のゆくまま新たな趣味などを発見しているのだとか。

F.Wさん:コロナ禍とこの自由な空間に触発されて、去年からジャズボーカルを習いはじめました。

玄関側から寝室、書斎を見通す

以前の住まいでは寝室と書斎が分かれていたが、ひと続きになったことで、読書体験にも変化が生まれたという。

F.Wさん:在宅での仕事中、ふと休憩をしようとベッドに腰掛けて偶然目に入った本を開いた時、これまでにない思考の広がりを感じたんです。「睡眠は寝室で、読書や作業は書斎で」という固定観念が取り払われて、自らの常識から自由になれた瞬間でした。

本とベッドがあるリラックス空間で、視界の先に入る緑がとにかく心地よいと話すF.Wさん。

知人のアートディレクターを通じて知り合ったアーティストの作品。この住まいのために制作されたのだとか

『あなたはここでどう生きるか?』と、この住まいは問いかけてくるようだとF.Wさんは語っていた。「自由」には自律が要求される、それを楽しめることがこの家の醍醐味なのだ。

改めて、Wさんご夫妻の意識と建築家の松本さんの思考がシンクロしていると感じた。ご夫妻の住まいとライフスタイルは、日々変化する都会の真ん中で、未だ見ぬ可能性の中を漂っている。

―――――物件概要―――――
〈所在地〉神楽坂
〈居住者構成〉2人家族
〈間取り〉1R
〈面積〉97.8㎡
〈築年〉築17年(取材時)
――――――設計――――――
〈会社名〉松本光索/KOSAKU
〈WEBサイト〉https://www.kosakumatsumoto.net/