気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の違いを「街の先輩」に聞いてみました! 「街の先輩に聞く!」、 第91弾は「九品仏」です。
目的地は「九品仏」。東急大井町線に揺られ「自由が丘」でたくさんの人が降りるのを横目に、あとひと駅です。「自由が丘」のお隣なんて、住んだら楽しいだろうな……どんな街なんだろう……そして約2分後「九品仏」に到着したあなたは、一歩踏み出そうとして衝撃を受けるはずです。
ドアが開かないーーー!!
軽く動揺するあなたを、生暖かく見守る地元民らしき乗客たち。『べ、別に……そういえば、次の駅に用事があったんで』何事もない風を装い、次の「尾山台」で涙の折り返し。いやいや、駅と駅の間がずいぶん短いみたいだし、もう歩いちゃう?
そう、これが初見泣かせの “九品仏先頭車両トラップ” です。「九品仏」は東急線唯一のドアカット実施駅で、自由が丘方面からの先頭車両はドアが開きませんのでご注意ください(一応車内アナウンスでも教えてくれます)。
武藤康生シェフ:まず駅名の「九品仏(くほんぶつ)」って、読めないじゃないですか。それに1両目が開かない。駅から次の次の駅まで見えるし……ここから「等々力」が見えますからね。どういうことだって(笑)。
そう笑うのは、洋菓子店「パーラーローレル」のシェフ、武藤さん。今回は、この街で親子二代にわたりパティスリーを営まれているおふたりからお話を伺います。武藤邦弘さん(以下、邦弘シェフ)、息子さんの武藤康生さん(以下、康生シェフ)、よろしくお願いします!
■ホッとする街の、ホッとする甘さ
「パーラーローレル」は、地元で知らぬものはいないほどの老舗洋菓子店。初代である邦弘シェフがこの店をオープンしたのは、もう42年も前のことだそうです。代官山の有名フレンチレストラン「シェリュイ」の立ち上げに携わり、以後5年間で9店舗を展開する大忙しの日々を送っていたのだとか。独立の場所としてここ「九品仏」を選んだ背景には、駅からの距離・人通りの量といった条件のほかに、街の穏やかな雰囲気もあったようです。
邦弘シェフ:あの頃は本当に大変で、もうボロボロに疲れちゃって……(笑)。だから、こういうところで静かにお菓子をつくりたいと思って。
ショーケースには、目を奪われるような素敵なケーキたちが勢揃い。邦弘シェフ考案の、店と共に歴史を重ねてきたケーキ。そしてヨーロッパからの修行帰りという康生シェフ考案の、新しい風が吹くようなスタイリッシュなケーキ。そのどちらにも共通しているのは、“食べた時にホッとするような、もう一度食べたくなる味を目指す” という想いなのだとか。
康生シェフ:九品仏、等々力、奥沢周辺というのは昔ながらの大地主さんが多くて。親子三代で来てくださるお客さまもいらっしゃるくらいなので、やはり老若男女問わず楽しんでいただけるケーキづくりでないといけないと思うんです。
■街に暮らしての実感
さっそく「九品仏」の個性について聞いてみましょう。武藤さんご家族はもともと都立大学〜自由が丘エリアにお住まいだそうですが、二代目の康生シェフは「九品仏」に暮らして現在7年ほどになるんだとか。この街のいいところは、どんなところだと感じていますか?
康生シェフ:よくも悪くも、昔からあんまり変わらないところですかね。マダムとしてお店に立つ母に聞くと『この店がある等々力通りは40年くらい変わってない』と言います。でもやっぱり一番は、落ち着いているところじゃないでしょうか。治安のよさを感じますし、安心感を覚える閑静さというか……流れている空気が穏やかなんです。
駅前に延びる商店街には、昔ながらの趣を残す個人商店も。ここ数年は、ローカルなムードの中に少しずつ新しい店舗が混ざり始め、どんどん便利になっていくのを感じているといいます。
康生シェフ:パン屋さん、多いですね。駅前にある「comme’N(コム・ン)」もそうですし、その先にも2〜3軒くらいあって。
一方でカフェやバーはほとんどないです。隣の「尾山台」には飲み屋さんがあるんですけどね。そこはもうちょっと、あってもいいのになって (笑)。
特にここ数年はコロナ禍もあり、7時半とか8時になるともう商店街のお店が閉まって、本当に会社帰りの人が歩いてるだけでしたね。
パンにコーヒー、上質なものを購入できるお店はあるけれど、中でゆっくり時間を過ごすようなお店は決して多くない……それってもしかして、皆さん “自宅があるから” なのでは? そこが街を歩く大多数が “遊びに来ている人” である「自由が丘」との、決定的な違いのように感じます。
康生シェフ:「九品仏」には浄眞寺があるので、毎朝6時に10回くらい鐘が鳴るんです。それで、シニアの方がお寺の門の前に集まってラジオ体操をやるんですよ。そういうところを考えると、どちらかと言うと落ち着いた年配の方向けの土地かなって思いますね。
■そうだ、「浄眞寺」行こう。
街のシンボルである「浄眞寺」の正式名称は「九品山 唯在念佛院 浄眞寺(くほんざん ゆいざいねんぶついん じょうしんじ)」。そもそも「九品仏」の駅名は、このお寺にちなんでいるのです。さてそれでは、「浄眞寺」には仏さまの像がいくつあると思いますか?
はい、もちろん九体です。境内の「上品堂」「中品堂」「下品堂」の3つのお堂、それぞれに3体ずつ仏像が配されています。仏教には「九品往生(くほんおうじょう)」という考え方があり、極楽浄土への至り方には、生前の行いにより3×3の9つのパターンがあるとされるそうな。
列挙すると「上品上生」「上品中生」「上品下生」、「中品上生」「中品中生」……ということ。日常的に使われる『イケメンって、どれくらい? 中の上?』『うーん、上の下かな♡』といった分類方法の元になったものなのです(品のない例えで申し訳ありません)!
これら九体の大きな阿弥陀仏像が揃っているのはとても珍しいことで、すべて東京都の指定文化財となっています。そういった文化的な価値に加えて、自然の美しさに触れられるのも「浄眞寺」の大きな魅力。四季ごとの彩りを愛でるため、多くの地域住民たちが足を運びます。
■住まい探し目線では?
それではここで、住まい探しの目線で「九品仏」を見てみましょう。まず何といっても「自由が丘」のすぐ隣! これはかなりのストロングポイントですね。
東急電鉄が公表しているデータによれば、「九品仏」の1日の平均乗降員数は、2021年では11,139人。これは大井町線の中で4番目に少ない人数です。そして「自由が丘」はというと、大井町線+東横線で116,068人。ざっと、10倍近い人の動きがあるわけです。
個人的には、「九品仏」の利用者数が少ないのは「自由が丘」まで歩いてる人が結構いるからでは? と睨んでおります……ふたつの駅の間はたった850m。11分で歩ける距離ですので。
そんな「九品仏」は自由が丘の活気を享受しつつ、穏やかな環境が手に入る街と言えるのではないでしょうか。
さあ、それでは本記事のハイライト(?)です。皆さまご高覧あれ。「九品仏」駅付近の住宅地土地公示価格は……1㎡あたり764,000円! 「自由が丘」駅付近の1,130,000円と比較すると、だいぶ夢が広がりそうです!
いかがでしょうか? “自由が丘エリア” に住みたいけれど、価格面での条件が……という方は、「九品仏」を視野に入れることで、もしかしたら活路が開けるかも。
お話を伺うと、康生シェフも休日には「自由が丘」へ足を運ぶことが多いそう。ファッションや雑貨など、女性らしいセンスが溢れた街を歩くことが、仕事への刺激になるのだとか。ここで「パーラーローレル」のケーキについて、もうちょっと詳しく教えていただきましょう(あー、早く食べたい)!
■箱を開けて驚きを、食べて調和を
日頃からアートや建築が好きで、そこからお菓子づくりのインスピレーションを受けることもあるというおふたり。なるほど、他のお店では見たことのないようなケーキの秘密は、そこにあるのかもしれませんね。
康生シェフ:私は近現代のアートが好きで。特に現代アートって、パッと見ただけでは何を表しているかわからなくて、見る人の想像をより膨らませるものだと思うんです。私がつくるケーキも、そういう作品であれたらいいなと。
邦弘シェフ:日本人って結構 “目で” 食べますからね。和食も和菓子もすごくきれいにつくりますよね。そういう感性を大事にしたいんです。
『フランス菓子・ドイツ菓子などの枠組みに囚われることなく、ここでしか出会えないケーキをつくりたい』と、ふたりのシェフは語ります。そして「パーラーローレル」のケーキを語る上で欠かすことができないのが、バタークリームを使った花のデコレーションです。
もともとボタニカルアートが好きだという邦弘シェフが始めた、キャンバスに絵を描くようなデコレーション。表現の幅を広げるため、製菓用の道具だけでなく絵画用の筆も駆使して仕上げられています。
繊細な職人仕事に魅せられたお得意さまの中には、芸能人や皇室の方もいらっしゃるのだとか。こんなふうに生産効率を度外視してデコレーションを施す職人は時代の流れとともに少なくなっているそうで、自分たちは最後の生き残りかも、とシェフは語ります。
邦弘シェフ:こういうケーキって、どっちかって言うと大人っぽい趣味じゃないですか? お誕生日は子どもだけじゃなく、1歳から90何歳まであるわけですし。うちのケーキを私より年上の方にまで楽しんでいただけてるのはうれしいですね。100歳の方のお誕生日ケーキをオーダーされたこともあるんですよ。
うーん、なるほど。落ち着いた暮らしを営む年配の方が多いこの街で、大人好みのデザイン、そしてホッとできる味のケーキが深く支持されているのは必然なのかもしれません。
邦弘シェフ:見てキレイで、食べて美味しく、バランスが取れている……上品なケーキって言うんでしょうか。うちはそういうのをつくりたい。いや、つくってる私は上品じゃないんですけどね(笑)
料理の “上品さ” って、素材をしっかり活かしつつ、角(酸味や辛味)が出ずバランスが取れていることだというのが、私が自分の舌で見出した結論です。それをずっと探し求めているんですけど、なかなか難しいんですよね。
■吹き荒れるスイーツ旋風の中で
さて……ここまで読んで『食べたいっ!』と検索する気満々の皆さまへお知らせです。2022年現在の「パーラーローレル」は、自前のホームページやSNSアカウントを持たないお店なんです。ネットの広報戦略に全くと言っていいほど力を入れていないのって、今どきちょっと珍しいのでは?
康生シェフ:あ、そうですね……結構『やらないの?』って言われるんですけどね(笑)
新しいお客さまに来てもらうためには活用すべきなんですけど、昔からご愛顧いただいてるお客さまを大事にしたい思いもあります。一気に話題になるより、変わらない安心感や満足感を得ていただく事が大事だと思うんです。
「パーラーローレル」の「パーラー」は、「談話室」「応接室」という意味を持っています。店内の喫茶スペースでゆっくりとした時間を提供するこのお店は、まさに街のパーラーなのかもしれませんね。
邦弘シェフ:この辺の方ってね、あんまり文句を言ったりしないんですよ。そのかわり(満足できなかった場合は)黙っていなくなってしまう。そういうところに土地柄を感じますけどね。
とにかく素材や製法、すごくこだわりを持ってやらないと。ライバルがみんな頑張っているので、生き残れないなと。
康生シェフ:東京で1位か2位くらいの激戦区ですからね。新しいお店も周辺にいっぱいできているので、負けないように日々少しずつでもアップデートしなくちゃな、と思います。
■野に咲く花の品のよさ
「九品仏」は「自由が丘」に近い街。だから、“が丘” の代替案としていいんじゃないでしょうか!……途中までそう思っていたのですが、ふたりのシェフから街のお話を聞くうちに、段々と「九品仏」にしかない居心地のよさが見えてきた気がします。味の “上品さ” の核心として語っていただいた、角のないバランスのよさ、調和のとれた状態というのは、そのままこの街の雰囲気にも当てはまるのではないでしょうか。
「九品仏」が “品のいい街” だなんて、図らずも洒落のようになってしまいました。それでいて、ザマスでオホホなスノッブさは感じられず、あくまでローカルなのが魅力なのかも。この街のことを考えるときは、フラワーショップの大輪の花ではなく、地に根ざして揺れる野草の佇まいを思い起こしていただくのがいいと思うのです。
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【INFOMATION】
店名:パーラーローレル
アクセス:東京都世田谷区奥沢7-24-3 九品仏スカイハイツ (google map)
営業時間:9:30〜19:00
定休日:木曜日
取材・撮影:小杉 美香 / 撮影・編集:本多 隼人