気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の違いを「街の先輩」に聞いてみました! 「街の先輩に聞く!」、 第87弾は「不動前」です。
「不動前」は地図で言うと「目黒」の下で、「五反田」の左隣で、「武蔵小山」の右隣にあたります。アドレスとしては「下目黒」「西五反田」「小山」あたりで、どこにも「不動前」という地名はありません。
うーん、鮮やかなまでの姿の消しっぷり。なかなか掴めない透明なアイデンティティを持つ街、それが “不動前エリア” ……と言えるのかも。
さて、今回取材させていただいたのは2021年にオープンしたばかりのカフェ「TONER(トナー)」。そんなに新しいお店なら、“街の先輩” ではなく “新入生” なのでは? とお思いでしょうか。
仕事にかこつけておしゃれなお店に行きたかっただけ、というわけではありませんよ(ほ、本当です)!
実はこちらのお店、2020年まで同じく「不動前」で営業していた「158&co.(イチゴーハチ)」が移転に伴いリニューアルオープンした姿なんです。
そして、新店舗と旧店舗から徒歩数分の場所には、リニューアル中にオープンした「158 coffee cart(イチゴーハチ コーヒーカート)」という2号店も。
「158 coffee cart」は現在独立し、「DAY COFFEE(デイ コーヒー)」と名前を新たにして営業されています。いずれもこの街にしっかりと根を下ろし、住民の方々との結びつきを持ったお店たちなんですね。
お話を伺うのは「TONER」のデザイナー兼ディレクター・金木さんと、「DAY COFFEE」のオーナー・谷口さんです。店舗が変遷しつつも、変わらずにこの街でお客さんを迎え続けるふたりの先輩から、お店や街について聞かせていただきましょう!
■店名に込められた想い
店名の「TONER」は、印刷機械にセットするあの “トナー” から来ているそう。お店のオーナーのひとりがカラリスト(映像などの色の調整をする仕事)をしていることから、色にちなんだ名前をつけたのだとか。
金木さん:店が提供するコーヒーや料理、音楽で、皆さんの “色” が映える、ベースとなるような店づくりをしたかったんです。なので店内は、落ち着きのあるグレーを中心にまとめています。
おお! 鮮やかな彩を添えるのではなく、引き立たせるというスタンスなんですね。
「TONER」のスタイリッシュな佇まいはSNS上で「#無機質カフェ」と表現されることも。でも、訪れる人それぞれの “色” を映えさせたいという店の想いは、意外なほど温かく、有機的だと思います。
そして店内でひと際目を惹くのが、コチラの大きな曲面の存在。なんと、店内にスケートボード用のランプが組み込まれているんです!
金木さん:いろんな方にこの場で交わってもらいたいので、特にターゲット層みたいなものは想定してないんです。
例えばこれ(ランプ)がスケボーで使うものだとわからない人もいるだろうし、子どもにとっては滑り台にも見えるだろうし。
そんな風に、それぞれが自由に、“自分のものの見方” で楽しめる空間を作れたらいいなって。
さまざまなタイプの座席が用意されているところにも、多くの視点を大事にしたいという想いが表れているのがわかります。視点が変われば受け取る印象も変わり、自分なりのお店の楽しみ方が見つけられそう。
『あそこに座るとどんな感じだろう?』と、何度も通いたくなっちゃいますね!
■お店の始まりは “ご縁”
さて、ここでお店のヒストリーについて少し。「TONER」の前身である「158&co.」は、“不動前エリア” の山手通り沿いに位置していました。以前は家具店だったそうで、金木さんもそのお店にお客さんとして通っていたのだとか。
そして家具店の移転にあたり親しい交流のあったオーナーさまが、当時事務所物件を探していた金木さんに『ここ借りてみたら?』とおすすめしてくれたのだそうです。
アパレルの仕事用に事務所・アトリエを探していた金木さんにとっては手に余る広さだったといいますが、悩んだ結果物件を引き継ぐことに。
コーヒーの仕事をしている知り合いを引き入れて、2016年11月、カフェ兼アトリエとして「158&co.」がオープンしました。
金木さん:最初はアトリエと半々なので客席も少ないですし、お客さんが入りやすいような雰囲気でもなかったんですけど……。僕はそれまで洋服の仕事をしてきたので、実際に店頭に立つのは初めてだったんです。
それが、自分が作った空間に来てくれたお客さんの反応を見てるとすごく楽しくて、喜んでもらえることが嬉しくて。
お客さんが増えるにつれて少しずつカフェ営業に力を入れるようになり、そして現在に至る……というわけなんですね。
金木さん自身が「不動前」近辺にお住まいだったことも関係はありますが、この街で店を持つことになった経緯は強いこだわりというよりも、むしろ人とのご縁に基づいた自然な成り行きという印象を受けます。
金木さん:なので、「不動前」でお店を始めたこと自体はたまたまなんです 。たまたまなんですけど……もともとコーヒーの有名な街でやるより、結果的に場所はすごくよかったなって。やっぱりここは “住む街” なので 。
コーヒーはひとつのサービスであって、自分は “空間を提供したいんだ” という考えになれましたね。
地域に根付き、たくさんの常連さんから愛されるお店となった「158&co.」。しかしながら、2020年のビル解体に伴い移転することに。
そして生まれたのが、山手通りから1本奥の通り沿いの「158 coffee cart」、そして目黒川沿いのここ「TONER」でした。
「158 coffee cart」は現在、「158&Co.」で店長をされていた谷口さんがオーナーとなり「DAY COFFEE」という名前でリニューアルオープンしています。
ちなみに『「158&co.」の読み方は「ワンフィフティエイト」ですか? 「イチゴーハチ」ですか?』 とおふたりに尋ねたところ、『もともとは英語読みで始めたんですけど、イチゴーハチの方が呼びやすいですよね(笑)。
イチゴーハチで呼ぶ方も多いですし、どっちも正解で、どっちでもいいんです』と、揃って大らかな笑顔を見せていただきました。
■クリエイティブなお土地柄?
それではいよいよ、街のことについて聞いていきましょう。金木さんは現在も「不動前」近辺にお住まいで、谷口さんは毎日「DAY COFFEE」のカウンターに立っている街の先輩です。
先ほどのお話で『ここは住む街なので』という言葉が出ましたが、おふたりの実感だと「不動前」にはどんな方が多いように思いますか?
谷口さん:クリエイティブな仕事の人は多いと思います。目黒にはAmazonのオフィスがありますし、五反田にはIT系の企業が集まってるじゃないですか。
その関連で「不動前」周辺に住まわれてる方って多いような気がしますね。前店舗の時は、PCを持って毎日仕事しに来てくれるお客さんもいました。
金木さん:都心からちょうどいい距離感の住宅街なので、昔から住んでる人と、越してきた人が混ざってるような印象があります。
山手通りを挟んで北側(目黒川の方)に住む若いファミリーさんは、大手企業で安定感のある堅実な方だったり、フリーランスで自分の好きに時間を使える方が多いイメージですね。
わりと皆さん自分に自信を持っているというか、堂々とした雰囲気を感じます。
谷口さん:「DAY COFFEE」がある山手通りを挟んで南側と、雰囲気が違う印象を受けますね。
■ちょうどよさ=暮らしやすさ
続いて「不動前」のいいところ、個人的に好きなところを尋ねてみました。すると谷口さんからは『僕も住みたいくらいです』と、街への率直なラブコールが。
谷口さん:ガチャガチャしていないところがいいんです。「目黒」「五反田」「中目黒」に行きやすくて便利なのに、なんだか落ち着いてる。住むのには一番ちょうどいいと思いますよ。
ただ、自分の店が近くなりすぎるので、残念ながら住めないんですけど……(笑)。
金木さん:住むなら林試の森あたりがいいかなあ。公園もすごく広いし。店も近すぎないし(笑)。
金木さん:絶妙なんですよ。カッコつけてないし、メディアで “住みたい街” と言われてもないし。例えば「武蔵小山」だと “東京一長いアーケードの商店街!” みたいな、看板となる言葉がついてるじゃないですか。
「不動前」って、そういう意味で『これ!』ってものが本当にないんですよね。ただ、どこへ行くにも近いし、縦は山手通り、横は目黒通りが通っているので目的地にアクセスしやすい。
バスも頻繁に通るので「中目黒」や「二子玉川」、「大崎」や「大井町」の方面にも行けます。
僕は普段、車やバイクを使うんですけど、高速の入口が近くて、東名も第三京浜も首都高も乗りやすいですよ。
金木さん:特徴がないので、言ってしまえばどんな人も住みやすいと思います。逆に華やかさを求める人にとっては、便利だけど物足りないかもしれない。
“不動前エリア” って目黒区と品川区のちょうど分かれ目なんですけど、そのせいか目黒区のちょっとハイソな雰囲気と、品川区のもう少し下町っぽい生活感と、どっちも共存してる感じがしますね。
おふたりが街の個性について話すとき、何度も『ちょうどいい!』と表現していたことが心に残りました。これっていうものがない、特徴がない。だけど過剰じゃなくて、不足もない。
そんな気負わない空気感が、暮らす上ではすごく心地いいってことなんですね。ベースが整っているからこそ、その人なりの暮らし方=マイスタイルがあれば、自分色にこの街を楽しむことができそうです。
■では、ポストカードを作るなら?
街について話が盛り上がってきたところで、ちょっと変な質問をさせてくださーい!
『もしも自分が「不動前」のポストカードを作るとしたら、どこの風景を切り取りますか?』
谷口さん:うーん、「目黒不動尊」かな? いやでも、うーん……。
ここで、悩むおふたりから『どう思う?』と話を振られた「TONER」のスタッフさんが、『ポストカードには向いていないですけど……』と、名もなき街角の風景についてコメントしてくださいました。
岡崎さん(スタッフ):山手通りから「DAY COFFEE」に入っていくわかれ道は、結構「不動前」っぽいなと思います。「DAY COFFEE」の方に歩くとそのまま駅に出るし、右に行くと商店街があって、目黒不動尊に着くんですよ。
金木さん:なるほど。そう言われてみたら、あそこにはいろんな選択肢があるよね。
たしかに何もない場所なのですが、あっちにも行けるし、こっちにも行ける。それぞれ魅力的な選択肢と、その先の広がりを感じさせてくれる場所でした。
なんだか、「不動前」のことが少しずつわかってきた気がします!
金木さん:東京に住んでいても、「不動前」を知らない人は結構多いと思うんです。だから “◯◯な街” とイメージを限定されないというか。便利なのに知名度がなさすぎて、ほかと比較されないのがいいのかも。
■未来を見据えて
最後に、「TONER」の今後のヴィジョンについて聞かせていただきました。金木さんは近隣にとても多いという保育園・幼稚園を例にあげて、『地域とさらに深く関わるお付き合いをしていけたら』と語ります。
金木さん:例えば遊具のペンキを塗るお手伝いをしたりとか、親子で一緒に楽しめるワークショップを企画できたらなと思ってます。
あとはデザイナーの個展とか、何かを表現する人にももっともっと使ってもらいたい。カルチャーに敏感な人たちに来てもらうことで、またいろんな “色” が増えたらなって。
“皆さんのベースになれたら” という「TONER」は、色彩を引き立たせるベースカラーでもあり、仕事や暮らしのリズムをつくる基地でもあり、個性・感性を活ける花瓶という意味でも “ベース” なように思えます。
今回不動前の街を歩き、気負わない空気を感じれば感じるほど、インタビューで話していただいた「何もない」は、「なんでもあり」にそのまま置き換えられる気がしてなりません。
この街の魅力は、ハッシュタグやラベリングからするりと身をかわした、その自由さにあるのかも。
「不動前は◯◯な街でした」。だからこの記事も、そんな風にまとめるのは野暮ってものです。
取材:小杉 美香/撮影・編集:清水 駿