窓の外には輝く水平線を望み、時折江ノ電のきしむレール音が聞こえる静かな昼下がり。鎌倉・極楽寺の高台に位置するSさんの住まいには、都内のオフィスで過ごす慌ただしい日常を忘れさせるゆるりとした時間が流れています。
東京で生まれ育ち、新宿や渋谷など都心で暮らしていたSさんが極楽寺に移り住んだのは6年前のこと。賃貸住宅で実験的に生活するうちに、すっかりこの街に魅せられたと言います。
海と山を眺める一室と出会って
かつてリノベーション会社で不動産営業職に就いていたSさん。その経験から、自身の住まいも中古マンションを購入してリノベーションすることを検討していたそうです。そんな中、3年前に出会ったのが極楽寺駅にほど近い築45年のこのマンション。住まいは1階ですが、坂道を登った高台にあるため視界が開け、海も山も見える抜群のロケーションに惹かれ、購入を決めました。
一応不動産屋だったので、物件のセレクトには自信がありました。
私的には、このマンションはお買い得でしたね。背後に崖がありますし駅からの登り坂も急で大変ですが(笑)、この眺めは坂を登ったからこそのご褒美。窓からは気持ちの良い風が吹き抜けて、朝は鳥のさえずりで目覚めるんです。
さらにSさんが惚れ込んだのが建物の魅力です。
約40㎡の部屋は間仕切りのないゆったりしたワンルームで、バルコニーに面した掃き出し窓には美しいプロポーションのハイサッシが取り付けられていました。無垢材のフローリングのほか、エントランスにあったレトロな照明や物干し竿の金具などのディテールにも、昭和45年頃建造とは思えないほどのセンスを感じたと言います。
仲間たちと一緒にDIY
職場のプロフェッショナルに相談しながら、リノベーションをスタートしたSさん。
設計は元同僚に依頼しました。間取りは大きく変えず、エントランスとキッチンの間にあった目隠しの壁を撤去し、収納を増やすためウォークインクローゼットを新設。キッチンやバスルームの変更、電気工事、壁撤去などはプロに依頼する一方で、壁や天井など内装変更はDIYで行うことに。
ところが「最初はDIYにあまり積極的ではなかった」と振り返ります。
実は東京に暮らしていた頃、夫婦で都内に中古マンションを買い、リノベーションしたいと思い描いていたSさん。しかしご主人が若くして亡くなり、ひとり暮らしになって鎌倉に移り住んだ経緯がありました。この住まいを購入したものの「ひとりぼっちの家をつくるのか」と、最初は気が進まなかったと言います。
でも、周囲の友人たちがリノベーションやDIYに慣れていたこともあって「できることはDIYでやったら?」と言ってくれて。それで「みんなでつくる家」って面白いんじゃないかな、と思って周囲に声をかけたら、同僚や友人たちなど、思った以上の人たちが手伝いに来てくれたんです。友だちの子どももペイントを手伝ってくれたり。うれしかったですね。
イメージは「アメリカンヴィンテージ」
もともとリノベーションが好きで、東京では「軍艦のような、バーみたいに改造したマンションに住んでいた」と話すSさんですが、この住まいで思い描いたインテリアは、古き良き時代を感じる「アメリカンヴィンテージ」。
ラフな表情を見せるアンティーク家具や味わいのあるペイント、クラシカルな水栓金具などをひとつひとつ自ら選び、心地よい空間を目指しました。
マンション購入後、もとの賃貸住宅に住み続けながら週末にDIYをスタート。まず、一般的に難しいとされるフローリングの変更になんとDIYでチャレンジ。無垢材だったので剥がさずに生かす予定でしたがテカテカした塗装が気に入らず、ホームセンターで購入した電動サンダーで友人たちとひたすら表面を研磨したそう。
最初は粗く削り、段階的に細かくしていったので合計12時間ぐらいかかりました。削った後で表面をオイルでコーティングする予定でしたが、削ったままの表情がラフでよかったので何も塗らないことに。おかげでホコリがたちやすいし液体汚れも染み込みやすいですが、汚れたらまた削ればいいか、と(笑)
このほかに水まわりなど最低限の工事が完了した時点で引っ越し、それから毎週末のように友人を集めては壁にタイルを貼ったりドアや天井をペイントしたりと、およそ1年をかけて少しずつ空間を作り上げていきました。
夢だった「自分らしいキッチン」
そしてSさんが何よりもこだわったのがキッチンです。「東京に住んでいた時はまったく料理をしなかった」そうですが、鎌倉に来てからは鎌倉野菜や新鮮な魚の美味しさに目覚め、料理好きになったのだそう。
もともとあったL字型の壁付けキッチンと吊り戸棚はすべて撤去し、アンティークのテーブルにガスレンジとシンクを設置した世界でひとつだけのキッチンを実現! 工程や設備面で不安もあったものの「失敗してもいいからやってみよう」とチャレンジしたそうです。
テーブルは東京・福生のお気に入りのアンティークショップ、FUJIYAMA FURNITUREで購入し、天板の一部を切ってシンクやガスレンジの設置工事を行いました。木の天板はシンクを入れる際に割れてしまったそうですが、そうした不具合も受け入れて楽しんでいます。
壁に貼ったレンガ風タイルは、友人たちと一緒にDIYで施工。「まっすぐ貼るのが大変でした」と振り返りますが、ちょっとしたムラやずれも味わい深く、眺めるたびに楽しい思い出が蘇ります。
キッチンとリビングの間には、バーのようなコーナーを配置。さりげなく空間を分けつつ、ちょっと腰掛けてくつろげる場所です。
友人がひとりで来た時、私がキッチンで料理している間ここに座ってもらって、前菜やお酒を楽しんでもらっています。
バスルームは既存のバスタブを撤去し、憧れの猫脚の置き型バスタブを購入。アンティークのガラス棚やミラー、水栓などもクラシカルな雰囲気にまとめました。
みんなの絆を感じる空間
バルコニー前のリビングは、一番長い時間を過ごす場所。友人や家族を招いた時に大勢で囲める広いテーブルの天板は、なんとアンティークの山小屋のドア。メタル製の脚部を合わせ、ドアの窓部分からは観葉植物が顔を出します。ここに座って眺める景色は、季節や時間によって違う魅力に溢れているのだそう。
料理したり、景色を眺めたり、ここで住むようになって、家で過ごす時間がよろこびになりました。
そして何より、たった40㎡の小さな家に、50人以上の人が関わってくれた。それがこの家の最大の自慢です。かっこいい家をつくることだけが幸せじゃない。手伝ってくれたみんなには、本当に心から感謝しています。
住まいのかたち、そして住まいづくりのプロセスはひとつずつ違います。
Sさんにはリノベーション業界にいたからこその経験や知識はもちろん、「住まいを自分でつくっていく」という思い、そして何より、周囲の人々との絆があったからこそ、自分だけのこだわりを尽くした空間が叶えられたのでしょう。「みんなでつくった家だから、ひとりでも寂しくない」という言葉が印象的でした。
ーーーーー物件概要ーーーーー
〈所在地〉神奈川県鎌倉市極楽寺
〈面積〉約40㎡
〈築年〉築45年
取材・文:石井妙子/撮影:cowcamo