気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の暮らしぶりを「街の先輩」に聞いてみました!「街の先輩に聞く!」、 第13弾は「中野」です。
駅北口の西側では再開発が進み、その様相を変えようとしている中野ですが、中野といえばやっぱり「ブロードウェイ」。マンガ、アニメ、ゲーム、フィギュアなどいわゆるサブカルチャーを扱う店舗が軒を連ねる中野の象徴です。しかし、実は上層階は高級マンション、地下は生鮮品を売る商店街があるということをご存知でしたか? この中野ブロードウェイの歴史を紐解くと、文化と生活が融合する中野という街の本質が見えてきます。
■沢田研二も住んだ高級マンションにサブカルの聖地ができた理由
中野ブロードウェイが開業したのは1966(昭和41)年、中野駅北口から続く商店街(現在の中野サンモール商店街)の突き当たりにあった住宅地を大規模開発して作られました。上階の住居は高級マンションとして知られ、沢田研二さんや青島幸男さんが住んでいたこともあったのだとか。地下1階から4階までは店舗が作られ、デパートの役割を果たしていたそうです。
50年前の開業当初は、地下に生鮮産品、1階と3階はブティックなんかが入って、2階はほとんどが飲食店で40店舗くらいありました。4階は今も少し残っていますが医院が集まっていました。5階から10階までが住宅で、約220世帯あり、屋上にはプールや庭園まであります。部屋からエレベータで下りてくればなんでも揃うそんな場所だったんです。
そう話すのは、中野ブロードウェイ商店街振興組合専務理事・事務局長の金子義孝さん。約40年前からブロードウェイと中野の街の変化を見てきました。
アニメやマンガを扱う店舗が増えたのは、バブル崩壊がきっかけでした。世の中が不景気になって、リサイクルショップが増えたときで、マンガもブームでした。そんなときに、漫画家でもあった古川さん(古川益三さん)が、マンガの古本の売買をする「まんだらけ」を始めたんです。それが好循環を生んで若い人たちが増えて、他方で飲食店をやっていた人たちは年も取ってきたし不景気だからということで廃業して、若い人たちの店舗が増えていきました。
1980年代初めのまんだらけの開業をきっかけに、サブカルチャー系の店舗が増えていった中野ブロードウェイ、現在では約29店舗あるまんだらけを中心に、2階と3階の店舗の大部分をサブカルチャー系の店が占めています。実際に訪れてみると、アニメやマンガだけでなく昔のおもちゃやマニアックな古本など細分化されたマニアな店があったり、撮影機材やイヤホンの専門店などもあって、マニアでなくても興味を惹かれる空間になっています。
さらに、日本のアニメ文化の人気に伴って、ここ数年は外国人観光客が増加、「サブカルの聖地」として海外にも知られる場所になっています。金子さんが「来場者の3割くらいは外国人じゃないか」というように、実際にガイドマップを手に店をめぐる外国人の姿も見かけました。
■生活の場に外国人観光客を受け入れる街へ
この30年ほどで「サブカルの聖地」へと生まれ変わった中野ブロードウェイですが、その一方で生活の場としての機能も果たし続けています。
地下に足を運ぶと、八百屋、魚屋、肉屋が数軒ずつ、豆腐屋や乾物屋もあります。どの店も価格が手頃で、訪れた平日の午前中も多くの買い物客で賑わっていました。そのような生鮮品を扱う店以外に、焼きそば屋や点心屋、若い女性に人気の巨大なソフトクリーム屋さんがあるすぐそばに、3Dプリンターを扱う店もあり、かと思えばベンチでお年寄りが休憩していたり、上階とはまた違う “カオス” を感じました。
さらに、中野ブロードウェイの周辺に目を向けると、生活の場の印象が強くなります。駅とブロードウェイを結ぶサンモールにはユニクロやマクドナルドなどおなじみの店が並び、そのサンモールから東側には昔ながらの飲み屋からラーメン屋、寿司屋、おしゃれなカフェなどさまざまな店舗を擁する大きな飲食店街が広がっています。南口にはマルイの本店もあり、近隣の住民の生活を支えます。
このようにサブカルと生活が共存する中野ですが、ここ数年の外国人観光客の増加によってさらに変化が起こりつつあるようです。
これからの日本は、観光業が中心になってきます。観光の中にはもちろんアニメも入ってくるので、中野でもインバウンド事業を中心に文化を掘り起こしを行おうと考えています。
中野は昔から小劇場があったり漫画家が住んでいたりするだけでなく、お犬様(江戸時代に「お犬様」を囲った「犬屋敷」がある)や哲学堂、能楽堂のような日本の伝統文化もあります。そのような文化も外国人に興味を持ってもらえると思うので、やってきた外国人がもっと楽しめるように、地元の人が集まるような飲み屋などが外国人を受け入れられる体制を整えられたらと思います。
この言葉からは、中野の「文化」によってさらに外国人を呼び込み、文化都市としての未来を切り開いて欲しい、金子さんのそんな願いが見て取れます。80年代に若者が入ってきてサブカルの街へと変貌したように、外国人観光客によって中野はまた新しい街へと生まれ変わろうとしているのかもしれません。
■再開発は中野を変えるか?
そのような未来に向けて、今の再開発のやり方には反対だと金子さんは言います。
今の計画では、区役所を移転して中野サンプラザを潰して、そこにオフィスビルを立てる計画だそうですが、企業を呼ぶよりも文化都市にした方がいい。新しく大学が3つできたんですが、そのうちのひとつの明治大学はさらに中野に合う学部として、芸術学部を新たに作って置こうとしてるんです。世の中の中野の捉え方というのはそういうものなんだから、もっと文化を中心にまちづくりを考えるべきだと思います。
実際にその再開発地区に行ってみると、まだ工事中という印象が強いせいもあるかもしれませんが、広い空間に四角いビルが並び、入っているテナントを見ても確かに「個性がない」と感じてしまうものでした。
しかし、これから大学やオフィスや住宅が増えれば多様な人達が集まり、そこから「新しい中野」が生まれてくるのかもしれません。変化を繰り返し独特な歴史を作ってきた中野のこれから姿、そのひとつの可能性がこの再開発に見えるような気がしました。
サブカルチャーに興味があってもなくても、中野ブロードウェイを訪れると、カオスがこの街のよさだと感じます。しかし高級マンションが思いがけずサブカルの聖地に変わったように、全く違う街へと変貌を遂げる可能性を中野という街は常に持っています。ぜひ訪れて中野の街の「今」に触れてみてはいかがでしょうか?
<中野ブロードウェイ>
住所:東京都中野区中野5丁目52−15
取材・文:石村研二/撮影:石村研二・cowcamo編集部/編集:THE EAST TIMES・cowcamo編集部