気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の違いを「街の先輩」に聞いてみました!「街の先輩に聞く!」、 第10弾は「神楽坂」です。
何度訪れても、坂を登り下りして個性豊かな店先を覗くうちに、自分が地図上のどこにいるのかわからなくなってしまう。そんな印象の神楽坂。この感覚は、いつか訪れたパリの小道に似ているような気がします。
編集部が今回訪れたのは、大通りから少し離れた急な坂道の途中にひっそりとある「セシル エリュアール」。フランス菓子だけで構成されたスイーツのフルコースを、1日2組限定で提供するという完全予約制のユニークな店です。ひとことでは語りつくせない神楽坂の魅力を、オーナーパティシエの鈴木祥仁さんに伺いました。
■坂の小道を歩くうちに迷い込むモンマルトルの風景
神楽坂がパリ的だというのは、もっともなんですよ。1952年にフランス国営の日仏学院が設立されたのが神楽坂。その理由は、この街のあちこちに隠れた階段があったり、坂があったりする様子が、パリのモンマルトルの坂に似ているからだった、と言われているんです。
30年前に、フランスに菓子修行をしていたという鈴木さんは、お会いした早々こんなエピソードを話してくれました。
■「プチパリ」と呼ばれる神楽坂
鈴木さんが言うように、1952年に設立された旧東京日仏学院は、現在「アンスティチュ・フランセ東京」と名前を変えて、フランスの語学や文化を日本に伝える活動を続けています。設立当初はフランス国営の語学学校だったため、当時たくさんのフランス人が講師として日本に渡り、神楽坂界隈に暮らしていました。
そういう先生たちのために、当然フランス料理を出す店も増えていった。神楽坂とパリは歴史的に結びつきが深い街で、だから今も「プチパリ」なんて呼ばれるんですね。
■フランスの文化人が作った神楽坂の土壌
その後、フランスの文化人たちがこぞって神楽坂を訪れ、神楽坂にはフランス的な文化が受け入れられる土壌ができていったと言います。
街行く人がみんなおしゃれなんだよね。うちの店を作って最初の頃にふらりと来てくれた老夫婦がとても粋な方々だったんです。おしゃれでかっこいい洋服を着た旦那さんが、焼き菓子を買ってくれて、『サロンとは何ですか?』と聞くから、『スイーツのコース料理です』と答えたら、『じゃあ来週妻の誕生日だから予約します』と。詳しい内容も値段も聞かずにパッと決めちゃった。そういう粋でセンスがいい人達が集まっているという印象があるんです。この街には。
■「この価値観を理解してくれる街は、神楽坂しかない」と確信
フランス菓子によるスイーツオンリーのコース料理を提供する「セシル エリュアール」。旬の果物と厳選されたこだわりの食材を使い「本当に良いもの」だけを出す、究極のスイーツサロンです。シェフ歴30年を過ぎて、この夢のようなサロンを開く場所として、鈴木さんが選んだ場所は「神楽坂しかなかった」と言います。
僕は、フランスでの修行中に体感したことを、ずっと大事にしています。きちんと作られた旬の果物を一番美味しい状態できちんと使う。食材を大切に扱い無駄にしないための工夫をする。菓子屋は、自然や人が作ったものを最後に加工するだけの仕事です。だからこそ、ちゃんとしたものを作り、出したい。この価値観を理解してくれる街は神楽坂しかないと、東京に店を出すときに確信したんです。歴史的に文化的伝統があって、この街にしかないものに人が集まる。その直感は間違っていなかったですね。
■「ちゃんとしたものを、理解される土壌がある」
年間営業日が135日、1日2組限定で1回4名まで。1人5,400円~の完全予約制スイーツサロンという独特の経営方針でありながら、3年前のオープン以来、客足が途絶えることがありません。そのことも、神楽坂の持つ文化意識の高さを証明しています。
お菓子だけでそんなに高いの? という反応も、もちろんあっておかしくないわけです。でもこの街では不思議とそれはほとんどない。ちゃんとしたものを作っているから、この価格でこのサービスなんだ、というのが、理解される土壌があるんです。旬のいいものが入った時にだけサロンをオープンするので、開催も不定期です。不特定多数のお客さんに向けたサービスではないけれど、気に入ってくれた人がブログなどでチェックしてくれて予約が埋まっていく。こういうやり方を受け入れてくれるのが神楽坂なんです。
■「フランスの味がした」と高齢のフランス人マダム
30年前にフランス・アルザスで修行を積み、その後もオーボンビュータンなどの名店で修行を積んで独立した鈴木さん。菓子の歴史を季節を通して、サロンで伝えていくだけでなく、店頭のショーケースにはいつもフランス仕立ての焼き菓子が並びます。こちらもバターや砂糖をしっかりと使った原価度外視の商品。店に訪れる常連の中には、高齢のフランス人マダムもいるそうです。
最初に焼き菓子を見て、『懐かしい』と買ってくださって。また来てくれた時に『フランスの味がした』と言ってくれたんです。嬉しかったですね。今も、神楽坂にはフランスの方は多くお住まいだと思いますよ。神楽坂には40件以上のフレンチレストランがあるけれど、本場仕立ての味でないと生き残れないですよね。この街はフランス人が舌で故郷を感じることができる街なんでしょうね。
■誰もがこの街での暮らしに誇りを持っている
店を構えるようになってから、鈴木さんは生活の場所も神楽坂に移しました。日常生活の中では、程よい下町感覚が心地いいと気に入っています。
祭りがとにかく多くて、町内会もしっかりしている。店を作っている時からご近所の人が話しかけてくれたし、今も野菜を頂く代わりに焼き菓子をお裾分けしたり、すごく仲間に入れてもらっています。
実は、神楽坂は、東京で残り少ない昔ながらの銭湯が6軒もあるのです! 鈴木さんも、毎日店を閉めて銭湯に行き、その足で行きつけの店のカウンターで食事をするのが日課だそう。それはまるで日々、行きつけのブーランジェリーでパンを買い、行きつけのカフェでコーヒーを飲むパリジャンのよう?
地域に根ざす暮らしができて、誰もがこの街での暮らしに誇りを持っている、というのは確かにフランスに似てますね。昔がお屋敷街だったことからも、暮らしを大切にする文化的レベルが高い人たちが住んでいるんでしょうね。古くていいものが失われにくいベースがあるのだと思います。
セシル エリュアールでも不定期に日曜朝市を開催し、普段作らないお菓子を特別料金で提供しています。日本全国からやってくるファンもいれば、家族連れで訪れる地域の人たちも。ハイセンスな暮らしがここにあることがうかがえます。
■変容する東京で、変わらず個性を保ち続ける街
東京のほぼ真ん中にある神楽坂。大通りは店の入れ替えも激しく、休日には観光客で溢れかえります。東京オリンピックが開催される2020年ごろには、この街の良さが失われてしまうかも・・・。ふと心配になって鈴木さんに尋ねてみると、「それはないですね」とバッサリ。
神楽坂って大通りにも、チェーン店が驚くほど少ないんです。休日に開かない店が多いのも面白い特徴(笑)。観光客より、地元の人や、本当に好きで通ってくれる人をターゲットにした店が多いんですね。結局、残るのは、こだわりを持った店。『ここでしか食べられない、ここでしか体験できない、という店しか神楽坂には残らない』と、懇意にしている不動産屋さんも言ってましたね(笑)
神楽坂に合う個性を持つ店だけがここに居られるから、やってくる人たちや住む人の意識も高くなる。2020年で東京オリンピックが来ても、いい意味で変わらないのが神楽坂だろうと鈴木さんは確信しています。
道行く人がおしゃれだよね。住んでいる人がおしゃれ。それは変わらないと思いますよ。
鈴木さんは、2020年に鎌倉に製菓のプロを育てる学校を作る予定だといいます。神楽坂の店は形を変えて維持していくつもりだそう。夢をどんどん叶えてきた鈴木さん。セシル エリュアールのこれからと、神楽坂という街のこれから、どちらからも目が離せません。
<セシル エリュアール>
サロンスタイルで楽しむSweets
住所:東京都新宿区赤城下町3-9
営業時間:11:00〜19:00(※テイクアウト、デザートサロンの詳細はHPにて)
ウェブサイト:http://kyukyoku-no-sweets.net/
取材・文:玉居子泰子/撮影:cowcamo編集部/編集:THE EAST TIMES、cowcamo編集部