気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の違いを「街の先輩」に聞いてみました! 「街の先輩に聞く!」、 第58弾は「二子玉川」です。
2011年に「二子玉川ライズ」が竣工し、より都会的な街へと変化し続けている二子玉川。そんな活気のある街には、ベビーカーを押しながら闊歩する若くておしゃれなママたちがよく映えます。でも、そんな光景も最近のこと。昔からこの街に暮らす優雅なマダムと、彼女たちのライフスタイルをずっと支えてきたタマタカ(玉川高島屋S・C)こそが、昔からこの街を特徴付けてきたモチーフなのです。
今回は、そんな玉川高島屋S・C(ショッピングセンター)の菊山みちさんと霜鳥桃子さんに、二子玉川の歴史や今についてお話を伺ってきました。
■二子玉川の性格を決めた玉川高島屋S・C
二子玉川が全国区になったのは雑誌の「VERY」ができてからなんです。VERYが「ニコタマダム」という言葉を作ってイメージが出来上がっていったんです。
長く二子玉川を見つめてきた菊山さんはこう言います。「VERY」が創刊されたのは1995年。「VERY」は1998年頃から「シロガネーゼ」「ニコタマダム」の言葉を使って、「おしゃれな主婦の街」というイメージを作り上げてきました。以来、二子玉川の若くておしゃれなママたちを、ニコタマダムと称するようになり、最近ではすっかり「おしゃれな主婦の街」というイメージが二子玉川に定着しました。
そんな「おしゃれな主婦の街」のそもそもの起点には、玉川高島屋S・Cがあります。1969年、日本で初めての本格的な郊外型ショッピングセンターとしてオープンした玉川高島屋S・C。候補地として日本中から選ばれたのが二子玉川だったと菊山さん。
創業者が、アメリカとヨーロッパの商業施設を何年もかけて研究して、モータリゼーションの進行と人々のライフスタイルの変化を見て取り、日本中探してこの場所に決めたそうです。交通の要衝にある場所で、 なおかつマーケットが豊か、そして大型大量輸送機関がある、それに将来性を加味するとここだったと聞いています。
二子玉川は川を渡ればすぐ神奈川県という東京の端っこで、当時は遊園地や川遊びに人が訪れる「東京のリゾート地」のような場所だったそう。一方で、近くには成城、上野毛、田園調布という都内有数の高級住宅街があり、田園都市線で先へ行った川崎や横浜では人口がどんどん増えていて、豊かなマーケットが見込めたのです。その予測どおり、二子玉川はたくさんの人たちがショッピングをする商業地へと成長してゆきました。玉川高島屋S・Cが二子玉川という街の性格を決め、街の伝統を作り上げていったのです。
■特別を毎日のルーティンにするマダムたち
世田谷で生まれ育ち、今も世田谷在住という霜鳥さんは玉川高島屋S・Cについてこう言います。
子どもの頃は家族ではハレの日にちょっと来るところで、高校時代は友人と来て、今は友人も家族で来てくれたりして、一緒に育ってきている感じがします。小さい頃から本当に近くにあったので、安心感があるし、母や祖父母と出かけるときはやはり足が向いてしまいます。
これは子どもの頃から二子玉川に来ていた人なら共感してもらえる感覚だと思います。昔から二子玉川に親しんできた筆者も、家族で食事に行くとなるとやはり真っ先に “タマタカ” が思い浮かびます。
このように地域の人たちの “特別” な思い出に欠かせない玉川高島屋S・Cですが、霜鳥さんによれば、その特別を毎日のルーティンとしている老齢のマダムもいらっしゃるとか。
毎日必ず10時15分からコーヒーを飲んで、そのあと明治屋で買い物をして、ガーデンアイランド(本館から500メートルほどの距離にある別館)行きのバスに乗って帰るというお客様がいて、当館のお客様らしいなぁって思いました。
今でも玉川高島屋S・Cの来店者の約20%が徒歩で訪れるそうです。二子玉川は周辺の高級住宅街に暮らす人たちの生活圏。こうして長年に渡って玉川高島屋S・Cを生活の一部にしてきたマダムたちが結構な数いるのでしょう。
■誰かの妻としてではなく、自分自身が輝く街
それを伺わせるもう1つの存在が「コミュニティクラブ」です。玉川高島屋S・Cでは1978年に会員制の文化サークル「コミュニティクラブたまがわ」を創設。地域の主婦が様々な趣味を通してつながりを生み出す仕組みを作りました。
作ったきっかけはコミュニティ作りだったと聞いてます。クラブを立ち上げた人たちに聞いたら、40年前は主婦は「誰々さんの奥さん」としか呼ばれない存在だったのを、まず名前で呼びあうことにしましょうっていうルールから始めたって言っていましたね。
と、クラブの成り立ちについて教えてくれた菊山さん。当時、専業主婦といえばずっと家にいて家事と育児だけをしているような人が多かった中で、「コミュニティクラブたまがわ」は女性たちが文化を通して社会と接点を持つ場所だったのです。もちろん、それができた背景には二子玉川の周辺の主婦たちの生活水準があったからでしょうが、そんなマダムたちが玉川高島屋S・Cに集い、二子玉川の文化を培っていったのです。
時が流れ、再開発エリアを闊歩する若い “ニコタマダム” たちもまた、自分自身のライフスタイルを表現しています。形は変わりましたが、二子玉川のマダムの系譜は脈々と受け継がれているようです。
■変化と不変の間で紡がれる街の本質
菊山さんは二子玉川の魅力のひとつは「多摩川の自然」だとも言います。玉川高島屋S・Cでも、緑化や環境整備に力を入れていて、屋上を公園にするのもさきがけだったとも言います。
多摩川沿いに倉庫を改装したカフェができていたりして、週末に早起きしてそういうカフェで過ごすような人達が増えている印象があります。都心で遊ぶより、そうやって自然に近いところでゆったり過ごす人たちが増えているように思います。
と、霜鳥さんは最近の二子玉川の若いファミリーについて話します。実際に再開発エリアである多摩川沿いの二子玉川公園に行ってみると、広々としていて自然も豊かで本当に気持ちがよく、この日は楽しそうな親子連れの姿がありました。
もちろんお客様は変わっていますし、例えば子ども連れの方が動きやすいようにベビートイレを作りましょうということはやっていますが、お客様の半分は世田谷の方というのはずっと変わっていないので、提案するライフスタイルに変化はありません。このエリアの方々は、丁寧に暮らすという生活規範を親から子へと受け継いでいるんだと思います。
と、菊山さん。その一方で、テナントについては「質感があって、運営のサービスもしっかりしていながら、鮮度の高いお店を入れることはすごく意識している」と言います。新しいものを取り入れ、このエリアの最先端の場所で有り続けることは意識として持っているのです。
そして「提案するライフスタイルに変化はない」という部分が、この二子玉川という街を象徴的に表しているような気がします。街を構成するお店が変わり、若い人たちが入ってきて、街が変わったように見えても、実は暮らし方は変わっていないのです。
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<玉川高島屋S・C>
住所:世田谷区玉川3丁目17番1号
電話番号:03-3709-2222(代)
営業時間:午前10時~午後9時
ウェブサイト:http://www.tamagawa-sc.com/
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取材・文:石村研二/撮影:石村研二・cowcamo編集部/編集:THE EAST TIMES・cowcamo編集部