気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の違いを「街の先輩」に聞いてみました!「街の先輩に聞く!」、 第62弾は「月島」です。


月島といえば、隅田川の下流にある「もんじゃ」が有名な下町。そんなイメージを持つ方も少なくないのではないでしょうか。月島はそんな下町情緒あふれる街でありながら、意外にもその歴史は古くありません。明治25年(1892年)当時、江戸・東京の水上交通の大動脈であった隅田川の下流に土砂がたまってしまい、その土で埋め立てられた時に初めて生まれたためです。

と言っても、100年以上の歴史があることは確か。さらに奇跡的に東京大空襲の被害を逃れたため、当時の建物がそのまま残っているんです。再開発で高層ビルが建つ中も、少し街を歩けば古い長屋、レトロな交番、丸型ポスト、人ひとり通るのがやっとの細い路地、昔ながらの銭湯・・・時代を感じさせるものに出会えます。

隅田川下流に広がる、下町情緒あふれる街・月島。路地やレトロな交番など、街を歩けば時代を感じさせるものに出会える。

今回はこの街の発展と下町情緒が融合する月島で、3代、約50年にわたって形を変えながら続く「喫茶パーラーふるさと」の金子輝雄さん、隆一さん親子に、月島の歴史と魅力をお伺いしました。

金子輝雄さん、隆一さん親子。今回のお話は、主に2代目の輝雄さんに聞いた。

■江戸っ子が集まる商店街

この辺りは今でこそ「もんじゃの街」として賑わっていますが昔は商店街だったんです。碁盤の目のように整備された街に合わせて商店と長屋が連なっていて。僕が知っている昔の頃は、中華屋さん、魚屋さん、ふとん屋さん、洋品店、おもちゃ屋さん・・・活気のある商店街でした。

見せてくださった、輝雄さんのお父様が写る、まだ「もんじゃの街」になる前の月島の写真。

碁盤の目のように整備されているのは今も昔も変わらずで、今は、区画ごとに「壱」「弐」「参」「四」と所々に番号が振ってある。

埋立地だから歴史は浅いんですが、下町の江戸っ子ばかりがいる粋な街でした。漁師町のや、魚の問屋が集まる築地が近いし、周りの下町にあった工場や造船所で働いている人が集まったんですね。

埋立て地でありながら江戸っ子が集まったという月島は、当初、商店街労働者が住む長屋が並んでいました。そんな街で、子ども達は面子、ビー玉、ベーゴマ、お正月は隅田川沿いで凧上げなどをして遊んでいたそう。また、今も残る月島温泉に行ったりも。長屋や温泉が今も残っている月島は、お話を聞いているだけで昔の様子を思い描くことができます。

左:金子さんが昔行った月島温泉。当時、入り口は外にあったが、現在は温泉を残す形でビルが建てられている。/右:今なお残る、昔懐かしさを感じる街中の風景。

■時代の流れに合わせながら襷が繋がる

親父もまた江戸っ子でした。行動がポンポンと早い。小さい頃は魚屋さんだったのに、ケーキの職人を経験して、自分で喫茶パーラーを開いて。単純に家の後を継ぐのではなく、その道へ進んだのは「いつかはやってみたい」という憧れのような感情がくすぶっていたんでしょう。

思い入れあって始めた喫茶パーラーは、東京生まれで故郷のないお父さんとお母さんが「来た人に故郷のように感じてほしい」という思いを込めて「ふるさと」と命名されました。「ふるさと」は現在、再開発のための移転中で仮設店舗となっていますが、見せていただいた昔の写真には、当時流行ったセピア色のドアやハイカラな内装が写っていて時代を感じます。

以前の店内と並びの長屋の様子。

そんな親父を見て、僕は「継ぎたくない」と思っていました。だって、サラリーマンをやってしまうと喫茶店よりもずっと気楽でしょう。土日は両方お休みできるし。どうしようかと考えていたんですが、実は息子(隆一さん)がハンバーガー屋さんで働いていて。もんじゃだらけの月島にハンバーガー屋さんがあっても良いじゃないかという話になったんです。

そこで「ふるさと」は、軽食やロールケーキを出していた喫茶パーラーから形を変えてハンバーガーショップに生まれ変わりました。時代の流れに合わせて変わりながらも昔からのお店を守る「ふるさと」は、再開発が進みながらも古い風景を保つ月島に重なるものがあります。昔からの襷が繋がれていくのは、街としても素敵なことではないでしょうか。

現在の仮店舗の様子。ロゴは輝雄さん自身の発案だそう。

注文されてからパテを焼き上げるハンバーガーは、お肉の味がしっかりしていて本格的。その他メニューには各種サンドイッチも。

■東京のど真ん中。都心部も徒歩圏内

江戸っ子が集まっていたけれど、都心に比べたら月島は辺鄙な場所でした。でも、東京オリンピックの時に整備され始めて。隅田川を挟んで築地側につながる佃大橋なんかも、その時にできたんです。月島は周りが川の言わば孤島でした。バスでしか外に行けなかったので橋が作られた時は不思議な気持ちになりました。なんだかんだで、位置的には東京のど真ん中だから、影響を受けるんですね。

隅田川に架かるこの緑の橋が佃大橋。右奥のマンションが立ち並ぶエリアが佃で、佃大橋が、築地エリアと佃・月島を繋ぐ。

佃大橋は隅田川最後の渡船場として320年間続いた「佃の渡し」の位置に架けられた橋で、戦後初めて隅田川に架橋された橋です。車での行き来が簡単にできるようになり、さらに地下鉄が通り・・・。交通の便がよくなるにつれて新しい人が住み始めたそう。今では、高価なマンションも立ち、昔から住む人と、新しく住み始めた人が融合しているようです。それも金子さんが「東京の真ん中」と言うような、この月島の立地が関係しています。

普通の街で暮らすなら、家のすぐそばで買い物をして、休日は近くの公園で遊んでというイメージだけれど、ここはちょっと行けば銀座まで歩ける東京や羽田も電車で近い。遊びたかったら豊洲のららぽーとにも行ける。便利なんですよね。街の中に必要最低限の2-3軒があれば間に合うんです。

確かに、この立地だと銀座、東京、豊洲で仕事をしている人にも便利です。もんじゃ屋さんの並びにスーパーマーケット、ドラッグストアがあって、居酒屋さんや飲食店もそれなりにある。それだけで便利な街と言えます。

スーパーマーケットをはじめ、街だけでも生活に必要なものは手に入る環境も魅力のひとつ。

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■100年間のそれぞれの時代が融合する街

交通の便がすごく良くなった頃、おそらく20年ほど前から「もんじゃ」が名物と言われるようになりました。メディアが取り上げたからでしょう。昔「もんじゃ」は僕たちの「おやつ」。駄菓子屋さんで5円、10円で買えました。粉にソース、キャベツ、桜海老ぐらいで。この文化は月島が発祥の地でもないんですが、街が過疎化する事がなく、盛り上がったんだから良いと思います。

1980年ごろ10軒だった「もんじゃ屋さん」は、今では約75軒も。人気店には行列ができる。

今、再開発が進められていますが、変わるのを嫌がるのではなく、みんなで街を良くしていくという意味で変わらなくてはいけないこともあります。例えば、震災の規制を守るために家を新しくするとか。環境に合わせて変わる事は、良い街を作る、住む上でも大事だと思います。

頑なに変えない事だけに執着するのではなく、時代に合わせて変わっていく様子には江戸っ子気質を感じます。そして、変わっていくと言っても、古くから残っていくものはしっかりある。100年以上の歴史の中で、商店街があった時代、東京オリンピックで交通整備された時代、「もんじゃ」が街の名物となり盛り上がった時代、そして再開発が進められる今、その全ての時代に触れられるのは、月島以外には無いかもしれません。

喫茶パーラーふるさと
住所:中央区月島1-9-15
TEL:03-3531-6916
営業時間:[火~金]10:00~15:00、17:00~19:00、[土]10:00~19:00、[日・祝] 10:00~16:00
定休日:毎週月曜日(祝日は営業)

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