「盆栽を世界により深く広めていきたい」という、盆栽作家・小林國雄さんの想いにより、2002年にオープンをした「春花園BONSAI美術館」。
東京都江戸川区に位置するこの美術館には、常時1000鉢を超える盆栽が所狭しと並びます。
今回は、盆栽の道に入って40年余り、館長の小林國雄さんに、盆栽のいろはについてお話をうかがいました。
園芸から盆栽の道へ。植物に見た、命の尊厳。
ー小林さんが盆栽を始められたのには、どのようなきっかけがあったんでしょう。
若い頃は儲かると思ったね。私のお父さんは園芸をやってたの。草花を作ってたんです。ですから私は親の跡を継ぐために東京都立農産高校の園芸科を出たわけ。卒業してから5年間、親の跡を継いで園芸をやったんですよ。ただね何て言うかな、園芸だけでは物足りないっていうかね。それで盆栽の道に入っていったんだ。
園芸の場合はね、例えば花がきれい、あるいは葉っぱがきれい、実がなったら実が可愛らしいっていうね、要するに園芸は植物の美を鑑賞するもの。華美華飾を鑑賞するもの。ところが盆栽の場合はどう違うかって言うと、盆栽は200年、300年生きる非常に長い寿命。これはね、まさに植物の命だな、命の尊厳。うちの古いのだと1000年っていうのもあるの。
だからここに、私は惹かれたのかな。命っていうことに惹かれたわけだ。当然園芸の場合も命っていうのはあるんだけど、命の長さ、この違いを感じたわけだよね。
そんな傍ら、ただ盆栽の方が儲かるんじゃないかなって、そういう思いもあったわけ。最初はお金儲けみたいな気持ちもあったけど、やっていくうちに、どんどんどんどん盆栽に魅せられて、惹かれていったわけだな。
ー盆栽との出会いというのは、園芸を通してだったんですか?
違う。日本盆栽作風展を見に行ったわけ。その展覧会で「奥の巨匠」っていう盆栽を見て、「うわぁすごい! 世の中にはこんなすごいものがあるのか。」って感動を受けて、よし、おれはこれをやろうって。多少興味はあったけど、衝撃的なこの木との出会いがあって、この道に入ったわけ。
その後小林さんは修行を積み、自身も日本盆栽作風展に出品。これまでに4度も内閣総理大臣賞を受賞されたのだそう!!
盆栽の小さな姿に込められた、凝縮の美。
ー盆栽の作品づくりにあたり、大切なことってありますか。
盆栽というのは1500年前に中国で生まれて、800年前に日本に伝わってきたの。日本人というのは、非常に繊細な感性を持っているわけですよ。日本には凝縮した言葉で表現する俳句や短歌がありますけど、盆栽も同様に凝縮の美なんですよ。
自然の中にある木を縮めて、大きな姿を見せる。これが盆栽の極意なのね。盆栽の言葉ではそのことを「形小相大」って言うんだけど、盆栽自身は60cmくらいしかなくても、30mあるような大きな木のように見せる、演出する。
そして最終的には個性、調和、品位なんですよ。木の持っている個性・キャラクター、その次に調和・バランス、最後に品位。これが大切な要素だ。
ーそのような要素を表現する技術を身につけるために、小林さんはどのような修行をされたんですか。
そうですね、独自にありとあらゆる盆栽屋さんを見学してみて目で盗んだり、話を聞いて盗んだり、いろいろですね。
好きだからこそ一生懸命やる。一生懸命やればうまくなる。好きこそものの上手なれってのは、まさにその通りだと思う。とにかく1日15時間〜20時間盆栽をいじってたね。そうすると、どんどんどんどんうまくなって、楽しいしお金も儲かるし、賞も取れるし。
その代わりたくさん失敗もするわけ。いっぱいやりすぎて枯らしてしまう。枯らして失敗して失敗して上手くなる。失敗しなきゃ上手くならないね。ましてや私の場合は独学だから、なおさら失敗は他の人より多かったと思うな。
40余年後に見えた本物の盆栽の魅力。
ー盆栽の道に入られてからこれまでに、なにか変化はありましたか。
40数年盆栽作りをしてきて、ここにきてはじめて盆栽の魅力っていうのが見えてきました。長くその道を極めていかないと、本物は見えていかないよね。表面的なものは見えるけど。
私は今まで、綺麗な売れる盆栽や賞を取るための盆栽作りをしてきたけど、盆栽の本当の魅力を考えた時、味のある盆栽を作るように変わった。内から出てくる味わいに惹かれるようになった。私が本当の盆栽を作れるのは、これからだと思う。
最初はお金や名誉が欲しかったけど、今はそういったものにこだわらないで、盆栽の本当の魅力を引き出してやろうって気持ちになってきたから、本当の小林國雄の作品を作れるようになった。新しい表現の仕方で、魂の響きを感じられるような、人が感動をする盆栽を作りたいと思ってる。