気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の違いを「街の先輩」に聞いてみました! 「街の先輩に聞く!」、 第84弾は「大倉山」です。
今回われわれが降り立ったのは「大倉山」。東急東横線の「菊名」と「日吉」の間にあるローカル駅です。
そしてお話をうかがうのは、「大倉精神文化研究所」の所長、平井誠二さんと研究員の林宏美さんです。こ、これは “街の先輩” というより、“街の先生” とお呼びしたほうがいいのでは……?
香り立つアカデミズムの予感にドキドキしながら、日頃あまり着ないジャケットを羽織って、いざ研究所のある「大倉山記念館」へ。
坂を登りきると、木立の中に白い建物が姿を現します。小高い丘の一帯が「大倉山公園」となっており、その頂点に佇むのが「大倉山記念館」です。正直言って、目の当たりにしてちょっと感動しました。まさに “殿堂”と言いたくなる、堂々としたお姿ですね!
思いのほか急だった坂道に、ジャケットもヨレヨレ。汗だくになってしまった取材班を『けっこう急だったでしょう』と、おふた方が和やかに迎えてくださいました。今回は地域史のプロフェッショナルをお迎えして、いつもより歴史的な情報多めでお届けしますね。
■大倉山記念館って?
まずは、気になるこの素敵な場所について。『大倉山記念館とは一体?』というところからスタートしましょう。
「大倉山記念館」はもともと「大倉精神文化研究所」の本館として1932年に建設されたもので、現在は横浜市の公共施設として広く一般に開放されています。図書館、ホール、ギャラリー、複数の集会室を持つこの洋館は、いわば区民センター的な立ち位置で活用されているんですね。こんなおしゃれな区民センター、ありですか?
この建物は建築家の長野宇平治氏の手掛けたもので、その建築様式は同氏によって「プレ・ヘレニック様式」と命名されています。
プレ・ヘレニック様式とは、ギリシャ以前という意味。西洋文明の基礎であるギリシャ文明……よりもさらに前に存在した、エーゲ海の文明跡(クレタやミケーネの遺跡)で見られるような意匠を持つものです。ちなみに大倉山記念館はプレ・ヘレニック様式による唯一の近代建築なのだそう。全国の建築好きの皆さま、お見逃しなく。
文明のスタートの地であるギリシャ、その根本的な土台となったクレタ・ミケーネの様式を用いることで、この場所をそのような文化発信の出発点にしたい、と「大倉精神文化研究所」創設者である大倉邦彦氏は考えたのでしょう。
■大倉精神文化研究所って?
なかなか街や住まいの話にならない! と言わず、もう少し掘り下げさせてください(笑)そもそも、「大倉精神文化研究所」はどのような理想を掲げて設立されたのでしょうか?
平井さん:大倉邦彦氏は実業家でしたが、思想家・教育者でもありました。ここを創設した目的は “心が豊かな人を育てたい” ということなんです。心の豊かな人が増えれば、争いごとがなくなって社会がよくなると。大きく捉えれば “心の教育” というのが目指していたところだと思いますね。
「大倉精神文化研究所」は現在も大倉山記念館の中で、精神文化に関する研究や地域(港北区)に関する研究発表、さらに附属図書館の企画運営を担い、誰もが心を豊かに育めるように活動されています。
附属図書館では、ちょうど取材日の1か月ほど前から「やさしく読める心の本コーナー」という子ども向けのコーナーが誕生したところなのだとか。
林さん:やっぱり大人の方でも、“精神文化” っていうと難しくて敷居が高そうだってイメージが強いので、そんなことはないよ!って情報発信をなるべくしていこうと。
ところで、大倉氏は洋紙を扱う実業家とのことですよね? どうして実業家さんが「精神文化研究所」を設立したんでしょうか?
平井さん&林さん:それは、このマンガを読んでいただいて!
館内の附属図書館で無料配布されている「マンガで学ぶ 大倉邦彦物語」では、大倉氏の生涯とその仕事を伝記マンガで追うことができます。氏が教育に情熱を傾け、次々とアイデアを行動に移していく姿が印象的! これを読むまでは正直、目的がわからず(一体何の得があって……?怪しい……)と身構えていたのですが、大局を俯瞰し、私財を投じて社会のために尽くす立派な人だったのだと理解しました。すみません。
では大倉氏はどうして、文化を学び、心を鍛える場所としてこの「大倉山」の地を選んだのでしょうか? マンガで見る限り、出身地でも居住地でもないみたいですけど?
平井さん:大倉さん自身の住まいは目黒あたりにあって、研究所も初めはそこに建てようとしてたんです。けど、街の開発が進んできたので、もうちょっと郊外の静かな所に……ということで場所を探して。その結果、ここの田園地帯の丘の上に研究所を建てることになったんですね。当時はここはまだ大倉山と呼ばれていなくて、平成19年までは太尾町(ふとおちょう)っていう名前でした。
意外にも、「大倉山」にあるから「大倉精神文化研究所」なのではなく、その逆でした。研究所ができたことで駅名も丘の名前も「大倉山」に変化し(ちなみに丘はかつて「観音山」と呼ばれていたそう)、そこから大倉山っていう住所名になったんですね。この地域に対する、研究所の影響力の大きさを感じます。
■大倉山2000年史
さあギアを上げて、街の歴史をグイグイさかのぼりましょう。
「太尾町」という旧名はものすごく古い歴史を持つ名前で、その由来は「動物の太い尾のように突き出している場所」なのだとか。なんと縄文時代ごろには、周辺の平地はまだ海の中にあり、この「大倉山」の丘が岬のような格好だったんですって!
平井さん:岬では陸の食べ物も海の食べ物もとることができるので、この辺りではよく遺跡が見つかるんです。ここの建築時にも、弥生式土器や住居跡が出土してますね。
大昔に海だったような平地は、昭和50年代くらいまでは鶴見川が氾濫すると水没してしまうことがあった。だから年配の方だと、水害を体験していらっしゃる方もおられます。
うーん、街の先輩から数十年前の街の姿を教わることは多々あっても、まさかこんな壮大なスケールでその姿に迫れるなんて、感激です。
鶴見川の影響を大きく受けてきた「大倉山」周辺にとって、その治水は重要な意味を持つ事業でした。本格的な河川改修が始まったのは、戦後の高度経済成長期がやや収まった昭和50年代以降のこと。川底をさらい、下流の方まで頑丈な堤防を建設。さらに鶴見川の流域全体に、雨水調整池と呼ばれる一定面積の雨水を貯められる場所を設けました。その数は民間・公共合わせて(2019年時点で)約5000ヶ所にのぼります。さらに川の水量が増えてしまった場合は、遊水池を兼ねた広大な「新横浜公園」に水を逃す対策も取られるようになり、かなり安全性が高まったと平井さんは力強く語ります。
平井さん:昔は大きな水害が何度も起きていましたけど、少なくともここ40年くらいは災害が起きていない。自然災害に対して100%安全というのはあり得ないですけど、こんなに長い間被害を受けずに済んだのは今までなかったことです。それは河川改修と流域治水のおかげですよね。
「大倉山」の都市化が進んだのは、河川改修が進んだ昭和50年代以降だと思うんです。戦後、東京・横浜で焼け出された人が郊外に家を求めて……ということで、一時期は人口が増えたようです。そうは言っても結局平地には水が氾濫しやすいので、なかなか住宅が建てづらい。やっぱり水害がなくなって開発が進んだ、っていうのはあると思います。
そして街の発展の追い風となったのが、タイミングを同じくしてお引っ越しして来た「港北区役所」の存在です。「港北区役所」は昭和53年に現在の場所(大豆戸町)に移転し、最寄りが「菊名」駅から「大倉山」駅に。人口・世帯数ともに国内の行政区中で最大級の規模を誇る港北区全域から人が訪れるようになったのは大きなターニングポイントと言えるでしょう。
平井さん:区役所もこっち側にきましたし、「新横浜」の開発もどんどん進んで便利になりました。大倉山に住んでると新幹線も歩いて利用できますしね。そういうのがリンクして、それまでは東横線の中で一番開発が遅れていた「大倉山」が、昭和の終わりから平成にかけてどんどん変わっていった。
一気にマンションがたくさん建てられて、以前は新聞に広告が山のように入ってたんですよ。もうでもね、ここ7〜8年近くになるかな? ほとんど新しいマンションは建てられなくなって。たぶんひと通り建てきったのかなぁ、なんて思ったりしてるんですけど(笑)
■商店街とギリシャ
さて……いよいよこの話題に触れる時が来たようですね。「大倉山」を歩いたことがある方なら、きっと気になっているはず! 「大倉山」にはギリシャ風の商店街があるんです。一体どういう経緯で、ここは “日本のギリシャ” になったのでしょうか?
平井さん:まず駅と区役所の間にある東側の商店街が「レモンロード」として綺麗に改装されたんですね。そうすると目的があって来る人は必ず区役所の方に行くわけだから、東口がものすごく賑わって。西口の商店街は、何とかこっちにもお客さんを連れてこないと、もうやっていけないってことになった。
横浜市に寄贈された「大倉精神文化研究所」の建物が「大倉山記念館」としてオープンしたのは、ちょうどその頃、昭和59年(1984年)のことでした。丘の上の堂々たる館を見て、存亡の危機に瀕していた西口商店街の方々はこう叫んだことでしょう……『エウレカ(分かった)!』と。
西口商店街は「大倉山記念館」をデザインコンセプトの中心に位置づけて、地中海やエーゲ海を思わせるイメージで商店街を統一することを決定します。国からの商店街開発の補助金を活用した事業なので、1年という短期間で商店街の左右両サイドの建物をギリシャ風に作り直す、大変なプロジェクトだったのだとか。いや〜バブルの時代とはいえ、思いっきりのいい生まれ変わりぶりですね。
平井さん:商店街の組合の人たちがギリシャに視察に行って、姉妹提携の話をまとめてきたんですね。それで「大倉山記念館」のホールで調印式をやって、エーゲ海フェスティバルっていうお祭りをやったんです。その時に役員さんたちが立派だったのは、商店街だけじゃなくて区役所とか小学校とか記念館とか、地域を全部巻き込んで広い範囲でお祭りをやったことですよね。
なるほど! こうして、「大倉山」は日本のギリシャというイメージを確立していくことになったんですね。
確かに、丘の上に佇む「大倉山記念館」や統一感ある白い街並みもあってか、なんとなく街全体に品のいいイメージを抱いていたし、実際に訪れてもそんな印象を受けました……そうお伝えすると、『昔はそうでもなかったんですけどね〜(笑)』とのこと。
平井さん:やっぱりどんどん変わってきてるんだと思うんです。エルム通りを作ったりとか、地域の人たちが色々努力してそのブランディングをしたんだと思うんですね。そういうのに憧れて、新しい人も入ってくるっていう。
■ああ女の平和。ママが元気な街はいい街だ
この街には幅広い世代の方が暮らしているそう。昔から住んでいる年配の方も多ければ、「大倉山」に住みたい! と移り住んでくる若い世代の方もいるといいます。
さて……今度は暮らし目線で、街の個性やいいところを教えていただきましょう。
林さん:落ち着いたベッドタウンのようなイメージなんですけど、お勤め帰りの人が多いからか、割と夜まで人が歩いていて。帰る時間が遅くなっても、街に人がいて買い物にも困らないのはありがたいですね。治安のよさもすごく感じます。
平井さん:最近は保育園がたくさん増えて、若い子育て世代が多いのに驚くと言うか。「大倉山公園」にも、日曜の朝には虫取り網を持って来ている親子が何組もいたりとか。記念館坂の柵にちっちゃい子がしがみついて電車を眺めてる姿をよく見かけますよね。
林さん:確かに保育園はイッキに増えた感じがありますね。横浜市が「待機児童ゼロ」の方針を打ち出す直前くらいから、ここ数年……4〜5年くらいですかね。
子育て環境について質問するよりも先に、実感レベルで保育施設の充実について語っていただけるとは! これは、リアルに子育てしやすそうですね。ちなみに、横浜市には “子どもを預けたい市民” と “子どもを預かって支援したい市民” をマッチングさせる「横浜子育てサポートシステム」も存在します。
平井さん:あと、お母さんたちが元気です。地域活動が盛んですし、振興組合の会館1階が「おへそ」って言うみんなで寄り合える場所なんですけど、そこも若いお母さんたちが交代で運営されてますよ。
林さん:ネットでこの地域の情報を集めたことがあるんですが、自分の住んでいる街に対して、肯定的な発信がすごい多いなって。私の地元だとそんなことないんですけど……(笑) 大倉山には、この街が好きで、地域のために何かしたいという方が多いと言うか。愛されてる街なんだなって感じます。
■おわりに
最後に、「大倉山記念館」は街にとってどんな存在だと思いますか? とおふたりに尋ねてみました。
林さん: “象徴” 、ですよね。これがあって街のイメージがよくなったのかもしれないですね。
平井さん:区のちょうど真ん中あたりにある公共施設なので、「大倉山」だけじゃなく港北区の皆さんにとってなじみの深い場所になっていると思います。
月1でやっている花壇の手入れに、大勢の方が集まってくれるんですよ。ご年配の方も、一生懸命に坂を登ってきて草取りしてくださいますから。
あとね、成人式の日にここの前で記念写真を撮る方が毎年いるんです。今年は分散させたけど、横浜市の成人式は基本全員「横浜アリーナ」でやるので、日本で一番大きな成人式の会場になるんです。そこに行く前にタクシーで親子連れでやってきて、ここで写真を撮るっていうね。
ああ……なんだか分かります! 記念館のこの佇まい、成人した節目のタイミングで撮りたくなりますね。ちょっと背筋が伸びるというか。
ただ建物が珍しいからではなく、そこにはきっと “知の殿堂” へのリスペクトと、ずっと見守ってくれた街のシンボルに対するお礼参りのようなニュアンスが込められているのではないでしょうか。愛ですね。
たっぷりお話を聞かせていただいて、館内も思う存分ウロウロして、知的欲求が満たされたホクホクの状態で帰路につきました。モノやお金とは別に、心が豊かになるってこういうことなのかもしれません。
積み重ねられてきた歴史や人の想いを受け取れる街、それが「大倉山」なのです。
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【INFOMATION】
施設名:横浜市大倉山記念館
アクセス:神奈川県横浜市港北区大倉山2-10-1 (google map)
開館時間:9:00~22:00
取材・撮影:小杉 美香/撮影・編集:本多 隼人