気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の暮らしぶりを「街の先輩」に聞いてみました!「街の先輩に聞く!」、 第37弾は「吉祥寺」です。


「住みたい街ランキング」でほぼ毎年1位に輝いている街、吉祥寺。パルコや東急、丸井など大型商業施設が多く、商店街にはおしゃれなお店や美味しい食べ物屋さんがたくさん。井の頭公園があり、飲み屋さんも充実しているなど「住みたい街」の理由を挙げるには枚挙に暇がありません。

吉祥寺といえば、井の頭公園! という方も多いのでは。

そんな吉祥寺の魅力について伺おうと、吉祥寺の人気飲み屋街「ハモニカ横丁」の仕掛け人、ハモニカキッチンをはじめ、ハモニカ横丁内のたくさんの店舗を運営するVIC(ビデオインフォメーションセンター)の代表・手塚一郎さんを訪ねると、現在の吉祥寺について意外な言葉が返ってきました。

吉祥寺の普段の様子。/上:サンロード商店街は昼夜を問わず多くの人が行き交う。/左下:井の頭公園近くにある、老舗焼き鳥屋「いせや」。/右下:パルコなど、大型の商業施設が駅周辺にたくさん。

■「吉祥寺はわかりやすいものだけになると、だめになる」

ずーっと吉祥寺って言葉を与えられて、どうなのって。ひとつのブランド化でしょうけど、吉祥寺はわかりやすいものだけになると、ダメになる。

お話を聞かせていただいた、VIC(ビデオインフォメーションセンター)の代表・手塚一郎さん。

いきなりの手厳しい言葉。

ここ数年、「住みたい街No.1」と呼ばれ続けて人気を集めた吉祥寺。しかし、手塚さんはそんな「分かりやすい」言葉で、多様性にあふれた形で発展してきた吉祥寺を表現されることを嫌います。

■闇市から横丁へ。バブルとショッピングタウン化の中で

吉祥寺の街づくりは、この狭いエリアに4つものデパートを誘致したことで、かろうじてうまくいったといえます。それによって賑わいが創出されて、バブルの頃には賑やかな街になりました。

ヨドバシカメラ、東急、コピス吉祥寺、マルイ・・・と駅周辺にはたくさんのデパートが揃う。

戦前には軍需工場などがあった吉祥寺。闇市が生まれ、それが後にハモニカ横丁になるわけですが、1960年に吉祥寺駅周辺土地計画調査特別委員会が設置され、その後「回遊性の高い街づくり」を目指して商業施設が誘致されます。

70年代には近鉄(1974年~2001年、現ヨドバシカメラ)、東急(1974年~)、丸井(1960年~、78年に移転)、伊勢丹(1971年~2010年、現コピス吉祥寺)という4つの百貨店が駅の東西南北にオープン。この4つの百貨店に囲まれた地域に商業圏ができてゆき、同時期に駅にはロンロン(現アトレ)が、1980年にはパルコができます。

駅周辺にはチェーン店を始め多くの店が所狭しと並ぶ。

この4つのデパートと周辺の店舗、そしてバブル景気によってショッピングタウンとして発展を遂げた吉祥寺で、手塚さんは1979年に吉祥寺に最初の店舗としてビデオ機材の専門店をオープンします。そして、ビデオが普及すると、1998年にはビデオテープ専門店をハモニカ横丁に出店し、その店の空いている2階を利用して始めたのが「ハモニカキッチン」だったそうです。

VICのカルチャーを感じる、各種アイテム。

■イメージチェンジで、若者から人気を集める「横丁」に

そのころ、寂れていたハモニカ横丁に活気を呼ぶためにはどうしたらいいかを考えるようになったと、手塚さんは話します。

暗いイメージだったのをなるべく開放的に、そして地元の人にも気軽に来てもらえるようにスタンディングを多くすることを考えたことで、オープンなスタイルができてきました。

闇市の昭和レトロの懐かさというのもあるんですが、それでは生き延びられないので、昭和レトロという言葉では消費されない言葉で簡単に言い表せないように店を作っていこうと思ったんです。

ハモニカ横丁の様子。

これまでの横丁のイメージとは違うお店を次々にオープンさせ始めたのが2000年頃、それからハモニカ横丁に来る若者が増え、人気スポットとなっていきました。

ハモニカ横丁の人気の高まりと入れ替わるようにその後、デパートは衰退。近鉄百貨店の閉店を皮切りに、他のデパートも閉店、縮小が続きました。

一方で周辺地域、特に中道通りや東急裏のエリアは、古くからあるお店と新しいおしゃれなお店が共存し、新たな賑わいを見せています。手塚さんは吉祥寺の未来を見据え、現在の吉祥寺の街に厳しい一言も投げかけます。

中道通りやその周辺は、おしゃれなお店も多く、新たな賑わいを見せている。

吉祥寺の街は真ん中が空洞化し始めています。新しい店はフランチャイズの店しかできず、サブカル系の人なんかは面白くないから行かない。ちょっとやってみたいという人が試せる環境がないと、この状況は打開できないと思います。

■「住む」ことについて考えると街の変化が見えてくる

井の頭公園に続く道。多くの人で賑わいを見せている。

それでも、井の頭公園を訪れて緑にホッとし、駅へと戻る道道のおしゃれな店を眺めていると、ここはやはり「住みたい街」なんだなと思います。便利さがあり、暮らしを快適にする百貨店や商店街があります。同時にハモニカ横丁や中道通りには、ここに暮らすことへの誇り、この場所にしかない「吉祥寺らしさ」を感じられます。

手塚さんは話の中で、こんなことも言っていました。

住みたい街という時の「住む」が何なのか考えたことありますか? 寝るだけだったらどこでもいいわけで、その中でその街に「住みたい」と思うのは郷土愛みたいなものなんじゃないでしょうか。

「住みたい街」の条件なら、日用品の買い物に便利とか、自然が多少あるとか、夜ちょっと食事をしたり飲みに行ったりできるお店があるとか、いろいろ挙げることは出来ます。しかし実際に住みたいかどうかを決めるのは、そういった「条件」だけではない何かがあるような気がします。

「郷土愛みたいなもの」は言い換えれば、その街への「愛着」なのではないでしょうか。多くの人が吉祥寺に住みたいと思うのは、自然の豊かさや便利さやおしゃれな感じや横丁の懐かしさに「愛着」を感じるからで、そのような吉祥寺の空気は依然としてあり続けているとも、街を歩いて感じました。

もっと色気のある街を作らないといけない」と話してくれた手塚さん。手塚さんのような方の努力によってユニークな街であり続け、多くの方が愛着を持てる街であり続けられるのか、吉祥寺がどう変化していくのかに注目です。

ハモニカ横丁
ウェブサイト:http://hamoyoko.jp/hamonika_kichijoji/

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