気になるあの街はどんな街だろう。その街で活動するからこそ知り得る、街の変化の兆しや、行き交う人々の違いを「街の先輩」に聞いてみました! 「街の先輩に聞く!」、 第90弾は「森下」です。
■怪奇FILE.001:姿を消す街びとたち
証言者Tさん:この近くに10年ほど住んでいたんですけど、あたり一帯がみるみるうちにマンションになっていきました。でも……街に人の姿が見えなくなるんです……マンションになればなるほど。人口が増えているのに、それっておかしくないですか?
さて……「街の先輩に聞く!」今回はミステリー調にスタートです……ぜひ、脳内でお好みのミステリー番組のテーマ曲を流しながら進んでください。
「森下」の街に降り立ったのは、あいにくの冷たい雨が降りしきる日。街を歩く人の姿があまり見かけられず、雰囲気がよくわからないな? こりゃ晴れた日に再撮影かな? なんて思っていただけに、続くこの言葉に衝撃を受けました。
証言者Tさん:雨だからじゃないんです。不思議ですよね、本当にいつもなんですよ。特にこの辺りは裏通りなので、ブラブラしても人の姿を見かけないですね。
証言者Tさん:この “怪現象” の理由はですね。街の風景をつくるはずの建物の1階がマンションのガレージやエントランスホールばかりだからだと思うんです。人が留まらずにパッと上の階に行ってしまう。
だから、街にはかつてより人が住んでいるはずなのに、かつてより人の姿が見えなくなったんです。
おお……ストーン! と矢を射るように、いきなり街に横たわるシビアな現実を語っていただくことになるとは!
何を隠そう、今回お話を聞く街の先輩は、まちづくり・空間づくりのプロである田中元子さんです。田中さんは “1階づくりはまちづくり” をコンセプトに掲げる「株式会社 グランドレベル」を立ち上げ、その実践としてこの街で「喫茶ランドリー」を運営されています。
田中さん自身がこのエリアに長く暮らして培った実感と、スペシャリストならではの俯瞰した目線で、「森下」のことを教えていただきましょう。
■まずは森下400年の歩みを
その昔、「森下」のある “深川エリア” は葦の生い茂る三角州でした。それを江戸時代(今からおよそ400年前)に深川八郎右衛門なる名士が土地を埋め立てて開発し、彼の名を取って「深川」という地域が生まれたと伝えられています。
そして「深川神明宮」の門前町として栄えた「森下」は、戦後〜高度経済成長期にかけては日雇い労働者の街としての側面も担っていました。
田中さん:このあたりはもともと隅田川を使った物流の拠点だったので、倉庫や町工場が多かったんです。ところが近年では水運が下火になって、手放された倉庫がマンションに建て替わっている状況で。
■怪奇FILE.002:灯台下が暗い……ドーナツ化現象
なるほど、ここで冒頭の怪奇現象の話につながるんですね。「森下」に新しいマンションが続々と建設されている背景には、交通利便性の高さが関係していそうです。
しかしいくら穴場として熱視線を向けられても、『清澄まで〇〇分!』『丸の内まで◯◯km!』と数字で魅力が語られているうちは、本当にこの街が選ばれているとは言えないのでは? と田中さんは語ります。
田中さん:私もこのあたりに住んでいたので、エリアの危機意識と言うか、人の姿がどんどん見えなくなっている実感があったんです。いかに、まわりの街に置いていかれてるかもよくわかっていて。
私自身、浜町の「レコードコンビニ」さんや神田の「神田珈琲園」さんなんかによく行くんですが、そういう自分の居場所になるようなスポットに行くのには便利な街なんですよ。でもこの街自体にそれがないという、謎のドーナツ化現象です……
そんな折、「グランドレベル」の元へ「森下」にあるビルのリノベーション&事業化の依頼が舞い込みます。かねてから抱いていた街に対する思いを形にする好機。ビルの1階を、地域に開かれた飲食店にしてはどうか。そんな提案から「喫茶ランドリー」は生まれました。