18:00 街の歴史を知るために 「とんかつ 鈴新」へ

取材前 “四谷荒木町” について調べていたところ、度々お店の名前を目にしたのがこちら、とんかつ「鈴新」さん。創業60周年を迎える老舗です。まずは街の歴史を知っておかなければ始まらない・・・と思い、ご主人がお店にいらっしゃるかどうかも確かめぬまま突撃!

お店は新宿通りから車力門通りをまっすぐ歩き、通りがS字にカーブする手前に建っています。ご主人の似顔絵看板が目印。

店内に入り、まずはメニューを眺めるわたしたち。こちらはお馴染みの「煮かつ丼」のほかに、サクサク感が売りの「かけかつ丼」、ソースを絡めたカツの上に大根おろしを乗せる「そうすかつ丼」の “かつ丼3兄弟” が名物。事前に目をつけていた「かけかつ丼」を注文して、いよいよ『ご主人はいらっしゃいますか? 実は今日荒木町の取材をしていて・・・』と店員さんに声をかけると、なんと電話でご主人を呼び出してくださいました! 早速インタビュー開始です。

60年近くこの地にお住まいの鈴木さん。街や地域に対する想いもひとしおで、「四谷荒木町まめ知識」という連載までしていらっしゃいます。

左上・店内奥に掛けられたご主人の肖像画。/右上・荒木町の地形を立体的に表した地図。明治18年(1884年)の地形と現在の地図の合わせ図になっています。/左下・江戸時代の「策(むち)の池」の風景画。下にはすり鉢状のこの地について書かれた書籍が多数。/右下・かつ丼が出来上がっていくのを眺めて、思わずお腹がぐぅ。

わたしたちと同じように街の歴史について聞かれることが多いそうで、店内には四谷荒木町に関する資料がたくさん。それらをひとつひとつ見せながら、ご主人が丁寧に解説してくださいました。

遡ること江戸時代、荒木町一帯は美濃高須藩の松平摂津守義行が上屋敷としたことから始まっています。
現在も残る「策(むち)の池」は当時いまよりずっと大きく、池を底として土地一帯がすり鉢状の地形をしていました。池を囲むように桜や紅葉が植えられ、当時は滝まであったそうですよ。 “東京の箱根” と言われていました。そこに茶屋ができ、即席料理屋ができ、明治になるとこれらの料理屋で飲食を楽しむ人たちにお酌をする芸者が必要になり、次第に花柳会へと形を変えていきます。
料亭・待合・芸妓屋の三業組合が結成されたのが明治末。そこから昭和58年の解散まで花街として栄えていました。荒木町の芸妓は「津の守芸者」と呼ばれ、昭和の始めには230人近くの芸者がいたんです。気品が高く、板前の腕も一流ということで一世を風靡しました。
現在ではそうした面影を残しながらも、新しいお店も受け入れるような飲食店街になっています。

な、なるほどぉ〜〜〜・・・! まるで紙芝居を聞かせていただいているような感覚で、街の歴史がすっと頭の中に入ってきました。これから始まる街歩きがますます楽しみ♪ でもその前に、まずは腹ごしらえ腹ごしらえ♪♪

名物の「かけかつ丼」。揚げたてのカツの上に卵でとじた玉ねぎを乗せることで、サクサクとトロリ、両方の食感を楽しめる一品です。具沢山のお味噌汁もいただいて、のっけから癒されました♡

19:00 街の徘徊スタート!

あたりが暗闇に包まれた頃、いよいよ街に大人なムードがむんむんと漂ってきました♡ 歳の離れていそうなカップルが寄り添い歩く姿、職場の同僚とわいわい連れ立って歩くサラリーマン、おひとりで行きつけのお店を目指すお爺さま・・・、行き交う様々な人を観察しながら、ぐるりと街中を歩いてみることに。

左上・“マスター、空いてる? ” なんて声が聞こえてきそうな光景。奥のカップルはどこへ向かうのでしょうか?♡ /右上・車力門通りにあるのが「金丸稲荷神社」。お隣の「荒木公園」にはその昔、見番(芸妓の玉代の清算や取り次ぎをする場所)や芸妓学校があったのだそう。/左下・当時は広大だった「策(むち)の池」。規模こそ小さくなりましたが、いまでも街の一番低い土地に残っています。/右下・鈴新の鈴木さんに教えていただいた、最近できたホステル「Tadaima Japan 新宿旅館」。レベルの高い日本食のお店が集まり、石畳など情緒深い風景が広がる “四谷荒木町” だからこそ、外国人の方にも人気が高いのです。

曲がりくねる路地に、突如現れる階段。歩き進むたびに、この地がすり鉢状の地形であることを実感します。特に土地の底にもなっている「策(むち)の池」へ辿り着くには、車で通れる道はひとつだけ。それ以外のアクセスはすべて階段を下りて行く必要があるんです。それに、そこここに敷かれた石畳。これらはかつて都電の線路に使われていた敷石を再利用したもの。ノスタルジックな風景こそが、この街の魅力のひとつです。

左・こちらは「仲坂」。見えにくいですが、階段下の両脇には地面に埋もれるように「仲坂」「昭和七年」と書かれた石碑があります。/右・まだ築年数の浅いマンションの前には、コンクリート製のレトロな電柱が残されています。

左・そんなコンクリートの電柱の先を進むと、勾配の緩い石畳の階段。/右・「車力門通り」と「柳新道通り」を結ぶ路地にも石畳が敷かれています。