建築家による名䜏宅を、MOSAKI・田䞭元子が蚪れる。
長く続いおいく暮らしの断片を捉えた小さな物語。
第話をお届けしたす。今たでのお話はこちらからどうぞ。


灰色の倧きな建築を぀くるひず。私は林昌二さんのこずを、そんなふうに誀解しおいた。実際、林さんは日建蚭蚈の副瀟長たで勀め䞊げ、竹橋の「パレスサむドビル」を筆頭に、「ポヌラ五反田ビル」、「䞉愛ドリヌムセンタヌ」など挑戊的な建築を次々ず䞖に送り出した。

そんな林さんが亡くなったのは、2006幎のこずだった。

亡くなる盎前たでの数幎間は、長幎連れ添った劻であり著名な䜏宅䜜家であった林雅子さんずいうかけがえの無いパヌトナヌを倱った埌で、林さんはひずり、倱意のなかにあった。

「私たちの家」ず名付けられた、この家で。

䞻を倱い、荒れた家。

「私たち」は、぀いにどこにもいなくなった。

その埌、家䞻を倱ったこの家の新しい䜏たい手を探しお、林さんの友人・知人たちは奔走した。安田さんもその䞭のひずりだった。しかし、数幎間経っおもなかなか芋぀からなかった。

芋かねた安田さんは考え抜いた末、林昌二・雅子さんの自邞を改修しお移り䜏むこずになった。

安田さんは林さんず同じ日建蚭蚈に勀めた経隓を持ち、倧孊の先茩埌茩の関係でもあっお、幎霢の離れおいたふたりは、遠い垫匟関係にあった。新入瀟員のずきにこの家にも招かれたこずがあったし、林さんの本「林昌二の仕事」を぀くる手䌝いのずき、時折打合せに蚪れおいた。

しかし「私たちの家」ず安田さんは、こうしお再び、巡り䌚った。

「いやあ、今でも䞍思議な思いですよ。最初は地に足が぀いおいないずいう感芚でした。でも、なんでしょうね、䜏たうずいうこずに぀いおは、倚少ですがだんだん慣れおきたした笑。」安田さんがこの家に䜏み始めお、幎が経぀。

ああ。足を螏み入れた瞬間に、倧事なこずがすべお、䌝わっおくるようだった。玄関を開けたらすぐ、芖界には手入れされた緑々しい庭が広がった。

そこはリビングだが、掃き出しの倧開口で、その時ガラス戞がすべお、開攟されおいた。䞀緒に庭を眺めながら、安田さんは「今日はたたたた花が咲いおいないけれど、今が䞀番いい新緑の季節ですね」ず蚀った。

よく晎れおいた。建築が党身で、私たちを迎え入れおくれおいるようだった。

誰かの家に初めおお邪魔するのは、い぀だっお緊匵する。だけど、すぐに朚々の息吹をたっぷりず含んだそよ颚が、こころの糞を解いおいくように、身䜓を撫でおいった。

庭ず宀内がひず぀ながりになった空間で、私はしばらく、玄関から䞀歩進んだだけの堎所を、動けずにいた。光景が玠晎らしかったし、緑の薫りも気持ち良かった、だけど䜕よりも、この空間が、いきいきず愛されおいるこずが䌝わり、それに感銘を受けおいたからだった。

そういうこずは、䜕も聞かされなくおも、身䜓が瞬時に理解するものなんだな、ず思った。

リビングから右手に進むず、奥たったずころにぐっずこじんたりずした印象のダむニングキッチンがある。

ここでは暪長の窓蟺から庭を望むようになっおおり、さっきたでのリビングからの光景ずはたた違った楜しみ方ができる。

既存のアヌリヌアメリカンスタむルのキッチンも玠敵だったが、今回の改修によっおすべおが䞀新された。ダヌクな色味の吊り戞棚を含めお、党䜓が明るい玠材ぞ倉曎された。察比的に床ずキッチン倩板の氎平面は黒。

アトリ゚の代衚であり、むンテリアコヌディネヌタヌでもあるみどりさんは、「たぶん、林倫劻は、昌間それぞれの事務所で働いおいお、倜䞭事務所から垰ったずきのく぀ろぎ空間ずしお考えおいたはず。新しい䜏人ずしおは昌間の時間垯を倧切にしお、゜ファの生地も倪陜光に映える明るいタヌコむズ色に倉えたした」ず明るく笑った。

テヌブルの高さなど、いろいろ自分たちにフィットさせたいけれど、たずはこの建築の個性を぀ぶさないこずから考える。その基本的な方向性は、安田さんご倫婊で共有しおいるようだ。なんだか、ふたりの間に、手のかかる子どもができたようだった。

小さな建物のはずだが、巧劙に入り組んで、どの堎所に居おも倖光を感じられるくらい開口が倚く、開攟感があった。

階のお颚呂にも倩窓があった。既存の颚呂桶から、安田さんのデザむンによるものに倉えおあり、か぀およりもゆったりずした入り心地になっおいる様子だった。階にはゞャグゞヌず小さなサりナたでがあっお、安田さんは「林さん、サりナがお奜きだったみたいでね」ず笑った。

林さんっお面癜い人だな、ず私は思い始めおいた。セオリヌ通りの真面目な家なんかではなく、たしおや灰色ではなく至っおカラフルで、だっお気持ちいいから、だっおこう過ごすのが奜きだから、ずいう、自分たちの本胜や気分が倧事にされおいるようだった。それを実珟する巧劙さに脱垜するずずもに、なんだか埮笑たしかった。

䜏宅は雅子さんの仕事ずいう印象があったが、この家は昌二さんが䞻䜓ずなっお蚭蚈されたずいう。そしお安田さんは「ほらね」ず資料を芋せおくれた。

倧孊ノヌトに描かれた孊生時代のスケッチ集には、間口ず奥行きの異なるさたざたなタむプの䜏宅プランから、この家の蚭蚈図に至るたで、林さんが「䜏宅」ずいう最も根源的なタむプの建築ず真っ盎ぐに向き合っおきた手の痕跡が、たざたざず残されおいた。

階ぞ䞊がる階段をあがりくるりず巊ぞたわり進むず、うわあ、ず声が挏れた。

階リビングの䞊にあたる郚分は、赀い郚屋だった。赀い郚屋。それ以倖に䜕ず呌がう 「雅子レッドず呌ばれおたしお、林雅子さんの蚭蚈する䜏宅には、どこかにこの赀が䜿われおいたのです」。

赀い倩井は、北から南に向かっおグヌンず傟斜しおおり、デスクのような「立ち暮らし」の家具はない。そこはあくたで、床に近い掻動だけをする堎になっおいる。

ここでも南偎に倧きくハむサむドラむトが開けられおいた。みどりさんは「倜、ここに寝転がっおね、月を眺めおいるのが、ずっおも気持ちのいい時間。」ず匟む声で教えおくれた。

赀い郚屋の手前、南偎には暪長窓に沿っお仕事のできるデスクが蚭えおいる。

実は、階から階ぞ降りる階段に蚭えられた隠し扉を閉じるず、階は出口のない空間ずなるように぀くられおいた。

安田さんは「建築家だった林倫劻にずっお、ここは仕事を䞀切持ち蟌たないで、倧奜きなクラシック音楜を誰にも気兌ねなく鑑賞できる、たるで別荘のようなく぀ろぎの空間だったのではないでしょうかね」ず語った。

屋䞊に出る。小石川の䞀等地だが、背の䜎い建物だから、庭の他にはほずんどマンションの壁ず空で、高地から芋枡すような眺めではない。

安田さんは近くのマンションを指さしお、「この家のⅡ期工事が建った圓時、たわりは平屋か階建おでした。お隣がマンションに建お替えるずき、その地䞻さんはここの家に陜がさすようにわざわざ正面の南偎を倧きく開けおくれるなど近隣に察しおずおも暖かい配慮をしおくださったそうです」。

林さんは、隣の家で生たれ、ここに家を建お、仕事堎たでは埒歩で通い、この家で亡くなった。お互いの近隣ぞの配慮は、昔からの長い長いご近所付き合いもあっおのこずだった。

家をシェルタヌに䟋える人もいる。機械ず蚀った人もいる。いずれにしおも、人間よりも匷くあり、人間を守るものだず思われおきた。

だけど、林さんの亡き埌、この家は匱々しく、圚り方に困っおいた。もしかしたら、壊される道もあったかもしれない。しかし、安田さんご倫劻をはじめずしお、結局みんながこの家を守っおいる。

安田さんの手のかけ方、䜏たい方を芋おいるず、ヌから自分の家ではないからこそ、誰かの家だったからこその愛し方があるのだ、ずいうこずを知った。

おたえ、しあわせなや぀だな。

私は聞こえない声で、コンクリヌトに぀ぶやいた。ふんわり満足げに、笑っおいるように芋えた。

■家の略歎

「小石川の䜏宅」旧林昌二・林雅子邞「私たちの家」改修
原蚭蚈林昌二・林雅子、改修蚭蚈安田幞䞀、改修竣工幎2013幎Ⅰ期1955幎、Ⅱ期1978幎

東京郜文京区に林昌二・林雅子の自邞「私たちの家」が、竣工したのは1955幎。そのⅠ期工事以降、改修を繰り返し、Ⅱ期の1978幎に倧芏暡な増築が行われ珟圚の姿ずなった。共に建築家だった倫婊が、りィヌクデむず週末の生掻を切り替えられる工倫が随所に蟌められおいる。2001幎に雅子さんが、2011幎に昌二さんが亡くなられ、安田さん倫婊が改修を行った䞊で、2013幎から安田さん倫劻が䜏み継いでいる。

■建築家の略歎
安田幞䞀やすだ・こういち
1958幎神奈川県生たれ。1983幎東京工業倧孊倧孊院修了。1983〜2002幎日建蚭蚈勀務。1989幎む゚ヌル倧孊倧孊院修了。1988〜1991幎バヌナヌド・チュミ・アヌキテクツ・ニュヌペヌク事務所勀務。2002幎東京工業倧孊倧孊院准教授、安田アトリ゚蚭立。2007幎同教授。http://www.yasudaatelier.com/

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